【記事15500】日本海東縁の活断層と地震テクトニクス(東京大学出版会2002年5月27日)
 
参照元
日本海東縁の活断層と地震テクトニクス
 
 
以下は出版社(東京大学出版会)からのコメント
大竹政和 編 平朝彦 編 太田陽子 編
ISBN978-4-13-060739-1 発売日:2002年05月27日 判型:B5ページ数:218頁

内容紹介
 日本海東縁のテクトニクスは何条かの「歪み集中帯」が担っている.地形・地質,地震,地殻変動などのデータによる「歪み集中帯」の識別結果を比較検討し,本地域のテクトニクスに新たな視点を提起するとともに大地震の発生ポテンシャルの総合的な検討を行う.

主要目次
第I部 日本海東縁とは何か
  第1章 日本海東縁の変動と日本列島のテクトニクス
  第2章 東アジアのプレート運動と日本海東縁
  第3章 東北日本の地殻変動と地震活動
第II部 日本海東縁の活断層と古地震
  第4章 海域の変動地形および活断層
  第5章 陸域の活断層と古地震
  第6章 堆積物に残された古地震
第III部 日本海東縁の歪み集中帯
  第7章 新第三紀以降の歪み集中帯
  第8章 第四紀以降の歪み集中帯
  第9章 明治期以降の歪み集中帯
  第10章 日本海東縁の地震活動からみた歪み集中帯【#10】
第IV部 日本海東縁の地震テクトニクス
  第11章 日本海東縁変動帯の地震テクトニクスマップ
  第12章 日本海東縁の地震発生ポテンシャル

 

●以下は当HP管理者による書籍からの一部抜粋である

はじめに

 日本海の東縁では,20世紀の半ば以後マグニチュード7.5を超える大地震が続発している。1993年には,この地域では史上最大の北海道南西沖地震(M=7.8)が発生し,死者・行方不明者230人を含む大被害をもたらした。また,秋田県の沖には大地震の空白域の存在も指摘され,この地域の地震テクトニクスを解明することは,地震防災の観点からもきわめて重要な課題となっている。
 日本海東縁の新生プレート境界説が発表されたのは1982年のことである(印刷論文となったのは翌83年)。中村一明と小林洋二によるこの画期的な新説を契機に,日本海東縁のテクトニクスの研究は新しい段階に入った。その直後に発生した1983年日本海中部地震(M=7.7)のメカニズムは,大陸側のプレートが東に向かって沈み込みを始めつつあるという彼らの主張とみごとに対応するものであった。
 しかし,その10年後に起きた北海道南西沖地震では,震源断層は逆に西傾斜を示し,単純な沈み込みモデルでは説明できないことが明らかになった。一方,プレート境界の位置についても,大地震の生起状況や地殻歪みの分布に基づいて,中村・小林の考えを一部修正する提案もなされてきている。しかし,これらの問題も個別の議論にとどまり,日本海東縁の地震テクトニクスを全面的に再検討する機会を得ないまま10年あまりが経過した。
 このようななかで,1994年から5年間,科学技術振興調整費による「日本海東縁部における地震発生ポテンシャル評価に関する総合研究」が実施され,この地域の地震テクトニクスに関わる重要な諸知見が得られた。韓国の水原にGPS観測点が設置され,日本列島と朝鮮半島の相対運動が明らかになったこと,最近約300万年間の地殻短縮量の定量的な推定が行われたこと,新たな活断層の発見により十日町断層の再定義が行われたこと等々である。なかでも,海底の変動地形の詳細が明らかになったことは特筆すべき成果である。これによって,海域と陸域の活構造を統一的な視点から俯瞰することも可能となった。一方,GPS観測の進展に伴って地殻歪みの高精度のデータが蓄積されつつあり,日本海東縁の地震テクトニクスを全面的に再検討する条件が整ってきた。
 本書は,上に述べた総合研究の成果を踏まえ,さらに日本海東縁の地震テクトニクスに関する最新の知見を集成して編まれたものである。ここには,地形・地質,地下構造,プレート運動,地殻変動,地震活動等,広い分野にわたる最新の研究成果が網羅されている。さらに,この地域の地震発生ポテンシャルの評価も試みられている。
 しかし,その内容は各分野の研究成果の単なる寄せ集めではない。執筆者たちは,総合研究の途上で分野を越えた真筆な議論を闘わせ,日本海東縁のテクトニクスについて統一したイメージを醸成してきた。そのなかで,日本海東縁に存在するのは海溝軸のような単純なプレート境界ではなく,プレートの相対運動は何条かの「歪み集中帯」によって担われているとの共通理解に達した。また,この歪み集中帯は,大局的には日本海拡大時のテクトニクスによって規定されていることも明らかになった。
 歪み集中帯は,地質・地形,明治期以来の測地測量,GPS観測,震源分布といった多様なデータに基づいて識別される。これらの結果を比較検討することにより,各手法が代表する数百万年から数年のさまざまな時間スケールで地殻変形の状況を捉えることが可能になった。この新しい方法論が本書全体を貫く背骨となっている。
 本書は,大きくみて4つの部分から構成されている。第T部では,日本海東縁のテクトニクスの大局的な枠組みとその特徴を記述する。各章では,構造発達史,プレート運動,地殻構造,地震活動が取り上げられている。第TT部では,地質・地形学的方法を駆使して日本海東縁の活断層と活構造の実体を明らかにし,また,津波堆積物から古地震を解明することを試みる。第TTT部では,歪み集中帯の概念を提出し,百万年オーダーから年オーダーのさまざまな時間スケールでみた歪み集中帯を描像する。第TX部では,以上の成果を素材として集成された日本海東縁の総合的なテクトニクスマップを提示する。また,これに基づいて大地震の発生ポテンシャルについて総合的な検討を行う。
 以上を通じて,詳しい個別論と同時に,読者が日本海東縁の地震テクトニクスの全体像を鮮明に捉えることができるように努めた。もちろん,日本海東縁の主要な問題がここですべて解明し尽くされたわけではない。日本海東縁でのプレート収束速度には,まだ少なからぬ不確定さが残されている。新潟県から長野県に至る歪み集中帯には,なお未確認の活断層が存在する可能性がある。海域については,現在の地殻変動の状況はほとんど不明のまま残されている。これら残された問題の解決は将来に委ねなければならない。しかし,今後の研究の発展方向を考えるうえで,本書はその基本的な視座を与えることができたと考えている。
 読者は,本書を読み進めるなかで,日本海東縁の地震テクトニクスは東北日本のローカルな問題にとどまらず,東北アジアのテクトニクスと深く結びついていることを見出すだろう。本州弧についてみても,日本海東縁の変動帯がさらに西日本まで延びている可能性がある。今後,東北アジア全体を含む広い視点から,さらに議論が深められていくことを期待したい。
 われわれは,地震テクトニクス研究における関係分野間の協同研究の重要さを痛感し,日本海東縁という具体的なフィールドを通して異分野間の対話と討論を重ねてきた。その指向性と努力が十分結実しているか否かは読者諸賢のご批判を待たねばならない。
 合計13人の執筆者は,いずれもそれぞれの分野で研究の第一線にあり,多忙な日程の合間を縫っての執筆となった。刊行に漕ぎつけることができたのも,東京大学出版会の小松美加・岸純青両氏の忍耐強い督励と献身的な努力によるものと言っても過言ではない。心から感謝申し上げたい。

2002年2月
大竹政和
平朝彦
太田陽子

 

第1章 日本海東縁の変動と日本列島のテクトニクス
平朝彦
1.1 はじめに
 日本列島は西太平洋に発達する島弧−海溝系の一部を構成しており,千島,北海道−東北日本(これを東北日本弧とよぶ),西南日本,南九州−琉球(これを琉球弧と称する),伊豆・小笠原の各島弧−海溝系から成り立っている。このような島弧−海溝系の地学的特徴は,日本列島に沈み込む2つの海洋プレート,すなわち太平洋プレートおよびフィリピン海プレートの運動に起因している。1983年に中村一明,小林洋二によって,日本海東縁辺部に収束型プレート境界が存在するとの説が提出され,日本列島周辺は海洋プレートの沈み込みだけではなく,少なくとも4つ以上のプレートが相互作用を行っているきわめて複雑なテクトニクスの領域であるとの考えが生まれた(第2章を参照)。さらに1983年の日本海中部地震,1993年の北海道南西沖地震は,日本海東縁辺部の変動がきわめて活動的であることを再認識させた。
 近年の研究を通じて,日本海東縁部は海域から陸域にかけて,過去200−300万年間にわたり地殻の変形が起こってきた地帯であり,長い時間スケールでみた地形や地質構造の形成そして断層運動,また短い時間スケールの地殻変動や地震活動が互いに密接に関連していることが理解されるようになってきた。特に第四紀後半における日本海東縁部の活発な地形の変形については,詳しい研究が進展しその成果は本書の第5章にまとめられている。このような活動的な変形地帯は「変動帯」とよぶことができる。日本海東縁変動帯は,東北日本弧のみならず日本列島全体のテクトニクスに大きな影響を与えているのではないかという考えが出されている(たとえば石橋,1995;鷺谷・多田,1998;Taira,2001)。本章は,日本海東縁変動帯のテクトニクスを日本列島全体の枠組のなかで位置づけること,そして,この変動帯の基本的な特徴を描き出すことを目的としている。
 口絵1に日本列島周辺域の地形レリーフを示す。まず日本列島は太平洋側では深い海溝に縁どられている様子がよく読み取れる。一方,東北日本弧の日本海側,すなわち日本海東縁部には複雑な地形が発達していることが明瞭である。特に奥尻島を含む南北方向に延びる高まり(奥尻海嶺)が特徴的であり,奥尻海嶺の東側には小海盆が南北方向に連なっている。これらの地形は,複雑な凹凸がよく認められ,堆積物の被覆が薄く,地形の形成がきわめて新しいことを印象づける。
 国土地理院が展開した全国GPS(GlobalPositioningSystem)観測網は,日本列島の地殻変動観測に革命をもたらした。詳しいことは本書第9章を参照してもらうとして,ここでは,全体的な特徴だけを述べておこう。図9.3をみると,日本列島の太平洋側は,ユーラシアプレートに対して西方あるいは北西方へ年間数cmの速度で運動していることがわかる.この運動速度は日本海側へと一定の割合で減少しており,これが大局的には日本列島の弾性変形歪みによるものであることを示している.したがって,東北日本や西南日本の太平洋側の弾性的変形のほとんどは,海洋プレートの沈み込みにカップリングして上盤プレートが変形する現象として説明できる(たとえばKato et αl.,1998;Sagiya et al.,2000).この変形の大部分はプレート境界地震によって解消されると考えられており,結果的には,GPSで観測されるプレート沈み込みによる上盤の歪みは,日本列島の長期的な変形には大きな寄与はしていないと推定される.同時にGPS観測は,日本列島とその周辺には,太平洋プレート,フィリピン海プレートの影響とは独立に東方へ移動する部分が存在することを明らかにした.バイカル湖から東のアジアと日本海を含む地域,そして日本では中国地方や能登半島がそれに属しており,この領域はアムールプレートの一部と考えられるようになってきた(Wei and Seno,1998;Heki et al.,1999:本書の第2章を参照).
 日本列島の現在のテクトニクスの様式は,ほぼ300万年前から開始し,200万年前には確立されたと考えられる.すなわち,約300万年前に日本列島全体のテクトニクスに大きな変化が起こった.日本海の拡大以降,太平洋プレートはほぼ1500万年間沈み込みを行ってきた.フィリピン海プレートの沈み込みの歴史については不確定なことが多いが,おそらく1500万年前から間欠的ではあっても沈み込みはあったと考えられる.それにもかかわらず,最近の300万年前を境に日本列島全体のテクトニクスに大きな変化が起こったことは,太平洋プレート,フィリピン海プレートの沈み込みとは異なる要因が働いたことを示している.これに関しては,アムールプレートの東進の開始と日本海東縁変動帯の発達こそが日本列島のテクトニクスを変化させた大きな要因であったとする仮説が考えられる.本章ではまず,現在の日本列島のテクトニクスを俯瞰する.そして,このテクトニクスの状況がいつから始まったのか,その歴史について考察し,最後に日本海東縁変動帯の基本的な特徴についてまとめる.

1.2 日本列島のテクトニクス
 図1.1に日本列島とその周辺の活断層分布(活断層研究会,1991)とGPS観測より求められた歪みの大きい地帯(最大努断歪みが0.07ppm/年より大きい地帯:地震予知総合研究振興会,1999の中の鷺谷原図に基づく)が示されてある.この図には太平洋プレートとフィリピン海プレートの沈み込み・衝突境界,さらに日高山脈における衝突境界も示してある.この図で,灰色で塗った部分は日本海東縁から中部日本そして中央構造線へと続く変動帯である.この変動帯は,アムールプレートの東縁の境界を成していると考えられる.図1.1を参照しながら日本列島全体のテクトニクスを概観しよう.
 千島島弧には,太平洋プレートが斜め方向に沈み込んでおり,このために前弧の一部(前弧スリバー)が西方に移動していると考えられる(Kimura,1986).前弧スリバーの西端は,日高山脈に衝突しており山脈の隆起を引き起こした.日高山脈の西麓は,衝上断層摺曲帯1)を形成しており,地震活動を含め活発な地殻の変形が起こっている.千島前弧部をマイクロプレートと考えれば,日高山脈は千島前弧スリバーの西方移動に伴った小規模なプレート衝突帯に相当する.
 東北日本弧の太平洋側では,太平洋プレートが日本海溝に沈み込んでいる.西北海道から東北日本と日本海の海陸境界では,アムールプレートと東北日本弧を含むプレートとの収束境界が存在すると考えられている.東北日本弧が属するプレートについては,Wei and Seno(1998)に基づきここではオホーツクプレートと考える.この収束境界は,日本海拡大時のリフト境界が圧縮境界に転じたものであると推定されている(Okamura et al.,1995:第4章を参照).境界はおそらく単一のプレート境界断層によって境されているのではなく,場所によって変形の幅が変化する複椎な境界であると考えられる.この境界の北への延長ははっきりしないが,留萌沖から稚内西岸へとエシュロン状(雁行状)の逆断層の配列を成して,さらにサハリンへ通じていると推定できる(第5章参照).
 留萌沖から男鹿沖まで,この境界は日本海の最深部(水深3000m以深)である日本海盆の海洋底と接している(図1.1参照).すなわち,日本海東縁変動帯は,海洋底地殻と接する部分と,そうでない部分とがあることがわかる(第3章の日本海の地殻構造を参照).この境界が男鹿沖から南へと,どのように延びているのか問題となるところである.以前には,佐渡の西を通って糸魚川−静岡構造線につながると考えられていたが,後に述べる種々の証拠から新潟から北信越に大きな歪みの集中しているところが認められ,その地帯が日本海東縁変動帯と連結しており,日本列島のテクトニクスに主要な役目を果たしている可能性がある.
 中部日本から西南日本の島弧内には,多数の横ずれ断層や逆断層が発達しており,この島弧が東西圧縮の状態にあることを示している.GPS観測のデータから求められる最大剪断歪み速度の大きい地帯は,信越,飛騨,福井からいわゆる近畿三角地帯を経て中央構造線へ続いている.飛騨外縁に発達する跡津川断層および牛首断層は,大きな右横ずれ断層系を成しているのが知られている.したがって日本海東縁変動帯は,北信越から跡津川断層系につながり,近畿三角地帯へと連続しているとの考えが出されている(第9章を参照).
 西南日本の太平洋側にはフィリピン海プレートが沈み込んでいる.フィリピン海プレートには,伊豆・小笠原島弧が含まれ,それは本州と衝突している.衝突の境界は相模トラフから酒匂川を通って富士山の北麓を通り,富士川へと続いている.
 中央構造線の太平洋側の地帯(地質学の用語では西南日本外帯とよぶ)は,フィリピン海プレートの斜め沈み込みによって西方へと移動していると考えられる.これを南海スリバーとよび,その運動を西へたどってゆくと九州南部へと続くが,ここでは日高山脈のような明瞭な衝突境界は認められず,そのまま琉球島弧へ延長していると考えられる.南海スリバーの西方への移動によって,中央構造線の西の延長部では南北方向の引張力が働く.別府−島原構造線から沖縄トラフへ続くリフト帯の成因は,この引張力が引き金になっている可能性がある.
 以下,このようなテクトニクスの考え方のうち,日本海東縁変動帯と中部・近畿日本の断層系との関係についてさらに考察を行う.
 
 
(中略)
1.6 まとめ
 日本列島では,300−200万年前以降,アムールプレートの東進によって東西圧縮が強化され,新しい応力場のフェーズに入った。これは,日本列島のネオテトクニス変動とよぶことができ,日本海東縁変動帯の形成もその−環として起こった。日本海東縁変動帯は,北信越から中部日本・近畿の変動地帯(新潟−神戸構造帯),そして中央構造線と連結している可能性が強い。
 日本海東縁変動帯は,日本列島全体のプレートテクトニクスと密接に関連しており,特にプレート運動学や地震テクトニクスの立場からその全体像のさらなる検証が必要である。


第2章 東アジアのプレート運動と日本海東縁
瀬野徹三
2.1 東アジアのプレート運動研究の歴史
 東アジア地域では,ユーラシアプレート,北米プレート,太平洋プレートの3つの大きなプレートが会合し,それらに挟まれるように,オホーツクプレート,アムールプレート,フィリピン海プレートなどのやや小さなプレートが存在している(図2.1)。これらのプレートどうしの相互作用が,日本海東縁とその周辺地域のテクトニクスを規定している。したがって日本海東縁の地震の起こり方・収束様式などこの地域のテクトニクスは,それらの大プレートと小プレートの相互作用に基づいて理解しなければならない。
 そのためにはまずプレートの同定(独立して存在すると考えられるプレートとその境界を明らかにすること),そしてそれらのプレートどうしの相対運動を正確に知る必要がある。その段階の後,プレートがなぜそのような運動をするのかを,地球内部ダイナミクスの観点から理解しなければならない。しかし東アジアの大陸部を含んだ地域においては,この第1段階におけるプレート運動の理解が完全でない。すなわちプレート境界とプレート運動の不確定さが,いまだに残っているのである。これは,大陸プレートには,海洋プレートと違い,プレート運動を表すデータが少ないこと,大陸の変形が剛体としてのプレートの運動で表しにくい場合があること,などによる。それにもかかわらず遅々としてではあるが,この地域のプレート運動の理解は進んできた。この状況は,近年GPSによる地表変位速度データの増加に伴って急速に改善されつつある。この章ではプレート運動研究の歴史をふり返りつつ,現在までの到達点を示す。
 プレート運動学が確立された1968年頃,日本列島を含む東アジアは漠然とユーラシアプレートに属するとみなされた。その下に沈み込む太平洋プレートとの相対運動は,北米プレートを介在して,ユーラシアー北米,北米―太平洋という2つの相対運動のオイラーベクトルを足し合わせて求められていた1)。すなわちユーラシア―太平洋のプレート間相対運動は東アジア地域のデータなしで求められ,これはプレートテクトニクスの有用性を示すこととなった。
 それから約10年後,Chapman and Solomon(1976)は,北米プレートがシベリア東部−オホーツク海を経て北海道東部まで延びているという考えを示した。この場合の北米−ユーラシアのプレート境界は,北海道中軸からサハリンを経て,北極海の中央海嶺につながる.この考えはかなりのあいだ常識とされていたが,1983年頃中村一明と小林洋二が独立に,東北日本−北海道西部も北米プレートに含まれるという考えを提出した(中村,1983;小林,1983).ここで日本海東縁がプレート境界であるという認識がはじめて示されたわけだが,この経緯に関しては瀬野(1995a)に詳しい.
 この段階までは東アジアのプレート運動は,ユーラシア,北米,太平洋プレートなどの間のグローバルな運動で記述できると考えられていた.グローバルなプレート運動モデルには,代表的なものとしてRM−2(Minster and Jordan,1978)やNUVELl(DeMets et al.,1990)などがあり,主要なプレート間のオイラーベクトルを,トランスフォーム断層の走向,プレート境界で起こる地震のスリップベクトル,中央海嶺の拡大速度などを用いて決めている.しかし小さなプレートの運動はほとんど決められていない.たとえば関東以西の日本列島の下に沈み込むフィリピン海プレートの運動は別に求める必要があった.当時このような東アジアの小プレートの運動を求めるために使用できるデータは,直接的なものとしては地震のスリップベクトルだけであった.もちろんそれだけでは運動は決まらず,大きなプレート間のデータも併用しなければならない(瀬野,1995a参照).フィリピン海プレートに関しては,RM−2やNUVELlなどのグローバルな運動モデルのユーラシア−太平洋相対運動データを併用して,ユーラシア−フィリピン海などのオイラーベクトルが決定されてきた(Seno,1977;Seno et al.,1993,今後このように2つのプレート間の相対運動を,ユーラシアーフィリピン海オイラーベクトル,あるいはユーラシア−フィリピン海の極,角速度などと略記する).最近はフィリピン海プレート内部に位置するGPS観測点の速度データを用いてプレート運動が決定されるようになった(小竹ほか,1998).
 東アジアの陸域に関しては,80年代の初め頃から,大プレートとは異なる小プレートが存在することが提唱されはじめた.これらは,オホーツク海付近に存在するとされるオホーツクプレート(Savostin et al.,1982;Cook et al.,1986),および中国の北東部からシベリア南部−沿海州−日本海を含む地域に存在するとされるアムールプレート(Zonenshain and Savostin,1981)である(図2.1).オホーツクプレートが存在する証拠としては,カムチャツカとアリューシャン弧との接合部からシベリア東部のチェルスキー山脈(図2.2)に沿い,さらに北極海の海嶺につながる帯状の地震活動が挙げられる.アムールプレートに関しては,その北縁バイカル湖からサハリン北部にかけて地震活動の帯が認められることが根拠とされた.しかし南縁では境界らしき活動や構造ははっきりしない.
(中略)
 
(中略)
2.4 まとめ
 これまで述べてきたように,大陸内部の地震スリップベクトルデータが少ないこと,大陸内部のGPSデータの数はまだ少なく,その信頼性も大きくないこと,日本列島のGPSデータは,プレート境界におけるサイスミック・カップリングや背弧拡大の影響を受けているため,プレート相対運動のデータとして直接は使えないこと,などが原因で,東アジア地域のプレート相対運動はまだ確定していない。最近中国北東部(図2.1のアムールプレートの南縁)で数十GPS観測点の速度ベクトルが得られたが,それらの点は1cm/yrくらいの速度でユーラシアプレートに対して東南東進している(Shene et al.,2000)。これらの点はちょうどアムールプレートの境界付近なので,残念ながらアムールプレートの運動はこれからはわからないが,図2.5のアムールーユーラシア間の速度ベクトルとよく似ている。アムールプレートの南には南中国プレートが存在すると考えられるが,それがアムールプレートと同じか,あるいはそれ以上の速度で東南東進していることを意味している。GPSによるアムールプレートのユーラシアプレートに対する運動はさきに述べたようにまだ問題があるが,Wei and Seno(1998)が求めた速度より大きいという傾向は否定できない。この場合日本海東縁の収束速度は1cm/yrよりも大きくなり,これが地震活動や地殻変動などの地殻活動度をどのように調和するのか問題が残されるが,近い将来大陸内部のGPSデータの数と信頼性が増し,日本海東縁におけるプレート相対運動が確定されることを期待したい。


第3章 東北日本の地殻構造と地震活動
長谷川昭
3.1 地殻構造
 固体地球は核・マントル・地殻で構成されており,一番外側の薄い殻の部分が地殻である。地殻とマントルでは,地震波速度や密度に顕著な違いがある。地殻とマントルの境界はモホロビチッチ不連続面(略してモホ面)とよばれ,地震波速度や密度がそこを境にして急激に変わる不連続面をなしている。
 大陸下の地殻(大陸地殻)と海洋下の地殻(海洋地殻)では,その構造に明瞭な違いがある。大陸地殻は20−70km程度の厚さをもち,単純化すれば,花崗岩質の岩石とその上の堆積物からなる上部地殻と,玄武岩質の岩石からなる下部地殻で構成される。一方,海洋地殻は厚さ6−7km程度であり,玄武岩質の火成岩と堆積物で構成される。
(1)人工地震観測に基づく地殻構造
 固体地球内部の構造を知るうえで,地震観測データが最も分解能の高い情報を提供する。とりわけ,制御された人工震源からの地震波を密に配置された地震計で観測する地下構造探査では,詳細な構造を求めることができる。人工地震による地下構造探査には2つの方法がある。1つは屈折法地震探査で,人工震源からの距離に応じた地震波(主として屈折波)の到達時刻の変化を計測することにより,地下を構成する各層の厚さと地震波速度を推定する。他の1つは反射法地震探査で,人工震源から射出された地震波が地下の地震波速度不連続面(層と層の境界面)で反射して戻ってくる反射波を,地表に設置した地震計で観測することにより,地下の速度不連続面の空間分布を推定する。反射法地震探査は,地下構造を詳細に知るのに最も有力な手法である。しかし,微弱な反射波を検出するためには,震源のエネルギーが大きくなければならない,非常に密に震源と地震計を配置する必要がありコストがかかるなどの理由により,モホ面の深さまで達する地殻全体の構造探査には,日本ではほとんど用いられてこなかった。
 人工地震を用いた地殻構造探査は,陸域では爆破地震動研究グループにより1950年以来,精力的に実施されてきた。ほぼ直線状に地震計を設置して,両端を含む測線上の複数地点でダイナマイトを爆破させ,それからの屈折波を観測することによって,地殻構造を推定する屈折法地震探査である。東北日本およびその周辺で行われた構造探査の測線を図3.1に示す。海域でも地殻構造探査が行われ,海底地震計が開発されたことなどによって,深部の構造がより詳細に求められるようになった。海底に地震計を直線状に設置し,ダイナマイトやエアガンを発震させる屈折法地震探査である。図3.1にこれまでに日本海で実施された探査測線を示す。
(中略)


(2)浅い地震の活動
 東北大学微小地震観測網で決められた1975年以降の浅発微小地震の震央分布を図3.7に示す.海溝軸から太平洋沿岸までの海底下で地震活動がきわめて活発であることがみてとれる.これらの地震のほとんどがプレート境界で発生する低角逆断層型の地震((Dの型の地震)であるが,ごく一部には太平洋プレート内部で発生する地震(Aの型の地震)も含まれる.このような太平洋下の地震活動に比べて,陸域下の浅発地震(Cの型の地震)の活動度は低い.また,地域的に偏在して発生している.特に,岩手・秋田県境付近から宮城・山形県境付近,福島県西部を通り,栃木・群馬県境に至る脊梁山地沿いの活動が顕著である.日本海東縁に沿っては,南北に帯状の分布が明瞭にみられる(Dの型の地震).特に1983年日本海中部地震(M7.7)および1993年北海道南西沖地震(M7.8)の震源域での余震活動が目立つ.
 地震は断層運動であり,地震の規模が大きいほど断層面の広がりが大きくなる.したがって,地震活動を考える場合,単に破壊の開始点である震源位置だけではなく,空間的な広がりをもつ断層面としてとらえる必要がある.図3.8に,種々の方法で推定された浅発地震の断層面(震源断層)の分布を示す.ただし,断層パラメータを推定できるのは必要なデータがきちんと揃っている場合であり,比較的規模が大きく,かつ最近起こった地震に限られてしまうという制約があることに注意する必要がある.太平洋下で発生する地震((@とAの型の地震)の最大規模(断層面の広がり)が大きいこと,ついで大きいのは日本海東縁で発生する地震(Dの型の地震)であり,それらは南北に帯状に分布していること,陸域下で発生する地震(Cの型の地震)にはそれほど規模の大きな地震がないことがわかる.
 図3.7と図3.8を重ね合わせてみると,現在の活発な微小地震活動の多くが,過去100年程度の期間に起こった規模の大きな地震の余震活動であることがわかる.すでに述べたように,日本海東縁に沿って1983年日本海中部地震(M7.7),1993年北海道南西沖地震(M7.8)の震源域に顕著な余震活動がみられる.この2つの地震ほどではないが,日本海東縁地域でさらに1964年新潟地震(M7.5),また陸域下でも1894年庄内地震(M7.0),1896年陸羽地震(M7.2),1914年秋田仙北地震(M7.1),1955年二ツ井地震(M5.9),1962年宮城県北部地震(M6.5),1970年秋田県南東部地震(M6.2),1996年秋田・宮城県境(鬼首)地震(M5.9,5.7),1998年岩手県内陸北部(雫石)地震(M6.1)の断層面に沿って,周囲に較べて空間的に集中した微小地震活動が認められる.このことは,規模の小さな微小地震のレベルでみれば,本震発生から100年程度経過していても余震活動が継続していることを意味する.一方,過去に発生した地震の余震活動ではなく,かつ活動が空間的に集中しているクラスターもいくつかみられる.それらの多くは最大地震の規模がM4程度以下の群発的な地震活動である.
 
 

(2)日本海東縁の浅い地震
 すでに述べたように,日本海東縁に沿って大地震が帯状に発生している.主な地震を表3.1に示す.日本海東縁で発生したこれらの大地震は,太平洋下のプレート境界地震のように必ずしも1枚の面で表されるようなプレート境界面で起こっているわけではない(第TTT部参照).ただし,衝突している2つのプレートの収束を担う,つまり大地震が起こる場所は,応力が集中しやすく強度の弱い場所であると考えられる.
 図3.3をみると,1993年北海道南西沖地震(M7.8)が,海洋性地殻から大陸性地殻へと地殻の厚さが急変する場所で発生したことがわかる.同様に,1983年日本海中部地震(M7.7)の場合も,地殻の厚さが急変する場所で発生した.図3.3に示した地殻構造でみられるように,地殻の厚さが急激に厚くなる場所は水深が急激に浅くなる場所に対応している.この関係は一般的に成り立っていると考えられるので,地殻構造が調べられていない場合でも,地形(水深)から地殻構造をおおまかにであれば推定することができよう.そのような観点で,大地震の震源域を地形と比較してみると(図3.8),1983年日本海中部地震と1993年北海道南西沖地震の震源域(断層面)は,日本海盆の東縁の水深が急激に浅くなり始める(地殻が急激に厚くなり始める)場所に沿って,南北に分布していることがわかる.1940年積丹半島沖地震(M7.5)の場合も同様に水深が急変している場所に沿って断層面が分布しているようにみえる.地殻の厚さが急変する場所は,応力集中が起きやすいので,そこで大地震が発生し,結果としてプレート収束の主たる部分を担っているのであろう.その意味で地殻構造との対応関係が比較的明瞭である.
 一方,さらに南にいくと,このような対応関係はみられなくなる.図3.8でみられるように,1833年酒田沖地震(M7.8),1964年新潟地震(M7.5)の断層面は,1994年北海道南西沖地震,1983年日本海中部地震の断層面で形成される南北に延びた帯状の領域から少し東に偏移して,再び南北に延びる帯状の分布をしている.これらの地震の震源域では,水深の変化が小さいので,地殻の厚さは急変していないと推測される.むしろ,その80km程度西方の大和海盆の東縁に沿っての領域で急変していると考えられる.この領域では,大地震の発生は知られていないものの,現在の微小地震活動は比較的活発である.図3.7で1983年日本海中部地震の震源域の南端から佐渡にかけての帯状の分布がそれで,この領域でもプレートの収束の一部を担っていることを示唆する.
(中略)
 


 
(中略)
3.4 まとめ
 東北日本の下には,厚さ90kmほどの太平洋プレートが8−9cm/年の速度で沈み込んでいる。太平洋プレートの沈み込みと日本海側でのプレート衝突に伴って,応力が蓄積される。それを解放するため,プレート境界やプレート内部で地震が発生する。太平洋下のプレート境界面では,摩擦特性が空間的に一様ではなく,それがプレート境界地震の発生様式を規定していることがわかってきた。一方,陸域および日本海東縁地域でも浅発地震が発生する。それらが発生する場である地殻は,著しく不均質な構造をしている。たとえば,その厚さは陸の下で30km以上と厚く,日本海の下では薄いところで7,8km程度である。日本海東縁地域は,地殻の厚さが急変する場所にあたる。そのような場所で大地震が発生し,結果としてプレート収束の主要な部分を担っていると考えられる。内陸の浅い大地震は,地震発生層である地殻上部の弱面に沿って発生する。地殻不均質構造のイメージングの解像度はまだ低く,内陸の大地震がなぜそこに発生するのかを明らかにするほどのレベルには達してはいない。今後,地殻不均質構造のイメージングの解像度が格段に上がれば,前節でみたように地震発生との関わりが明らかになり,活断層がなぜそこにあり,その長さが何で規定されているのかの理解が深まると期待される。


第4章 海域の変動地形および活断層
岡村行信・加藤幸弘
4.1 日本海全体の地形と構造
 日本海は,ユーラシア大陸の東縁に沿って並ぶ沿海の1つで,西縁を沿岸州と朝鮮半島,東縁をサハリン島と白本列島で囲まれた背弧海盆である。その中には大小いくつもの海盆が形成されている。最も大きいのが日本海盆で,その南側の大和海盆との間は大和海嶺が境している(図4.1)。また,大和海盆の西側には隠岐堆・北隠岐堆を隔てて対馬海盆が広がる。これらの海盆の大陸側の斜面は,幅の狭い大陸棚と急傾斜の斜面からなるのに対して,日本列島側では小規模な海嶺とトラフないし海盆が多数分布する幅の広い大陸棚と大陸斜面が広がり,佐渡島,奥尻島,隠岐,竹島などの島も点在する。
 かつて,日本列島とユーラシア大陸とは連続した陸地であったため,日本海は存在しなかった。いまから約3000万年前の漸新世に,当時の日本列島とユーラシア大陸との間に割れ目が生じ始め,それから約1500万年の間に日本列島がユーラシア大陸から離れて太平洋側へ移動するという,大きな地殻変動が起こった(たとえばTamaki,1995)。この変動によって,現在の日本海の基本的な地形と地質構造の骨格が形成された。その後,いまから約1000万年前から後には,日本海の中でも日本列島に沿った縁辺部だけに新たな地殻変動が生じ,地形および地質構造が大きく変化している。現在の日本海の地形(図4.1)と地質構造は,3000−1500万年前の日本海形成時に作られた構造と,約1000万年前より以降の変動によって形成された構造とが重なり合っている。
 最初に日本海が形成された変動では,日本列島とユーラシア大陸との間で大陸性地殻が水平方向に大きく引き延ばされた。そのため多くの正断層が発達し,それに伴う大小さまざまな規模の堆積盆地が形成された。特に日本海盆では,完全に大陸性地殻が分断され,海洋性地殻が形成された。地殻の引き延ばされた量を正確に知ることは困難であるが,伸張量が大きいほど地殻の厚さが減少するため,日本海の各海盆とその周辺の地穀の厚さを比較することによって,相対的にどの部分の伸張量が大きかったかを推定できる。一般的な大陸性地殻の厚さは約30kmで,日本列島の大陸性地穀もほぼ同じ厚さからなる。日本海南部の大和海盆では地殻の厚さが約15kmと推定され(Tama−ki,1995),さらに南側の富山トラフの地殻は約20kmの厚さとなる(浅田ほか,1989)。それに対して,日本海北部を占める日本海盆では大陸性地殻が完全に分断され,その間にマントルから玄武岩質のマグマが供給され,厚さ10km以下の海洋性地殻が形成された(Hirata et al.,1989)。このような海盆の地殻構造の比較によって,日本海の北部では大陸地殻が切断されて大規模な海盆が形成されたのに対して,南側では広い範囲にわたって地殻が引き延ばされ,小規模な海盆が多数形成されたと推定されている(Tamaki,1995).それらの海盆の間には,かつての大陸性地殻が断片的に残されていて,大和海嶺,隠岐堆,北隠岐堆などの地形的な高まりを形成している.
 約1000万年前の後期中新世には,山陰地方の日本海沿岸に沿って,ほぼ南北方向の圧縮応力が護まり,ほぼ東西方向に延びる逆断層と摺曲構造が成長した(Yamamoto,1993など).北海道の中軸でも中期中新世には南北方向に延びる逆断層と隆起帯が生じた(宮坂・松井,1986).その後,鮮新世になって,東北日本から北海道の日本海沿岸に沿って東西方向の圧縮変形が顕著になり,南北から北北東方向に延びる逆断層と褶曲構造が形成された(Sato,1994;Okamura et al.,1995;岡村ほか,1998).これらの圧縮応力による変形は日本列島からその大陸斜面に限られ,日本海の内部や大陸側まで及んでいないという特徴がある.
 日本海東縁の活断層は,鮮新世以降に東北日本から北海道とその西方沖で生じた東西圧縮応力によって形成されてきたものであるが,それらの断層の形態および特徴は,日本海の形成時に伸張応力場で形成された古い地質構造に強く規制されている.このため,日本海東縁の地震テクトニクスを解明するためには,日本海が拡大した漸新世以降の構造発達史を理解することも重要である.ここではまず,伸張応力によって発達した地形と地質構造を簡単に紹介し,その後に圧縮応力によって発達した活断層について解説する.
 
 
(中略)
4.3 圧縮応力によって形成された地形と構造
(1)地形
 北海道から東北日本が接する日本海東縁は,日本海の他の海域とは異なり,波長の短い海嶺群が発達することによって特徴づけられる.これらの海嶺群は,大和海盆や大和海嶺で代表される北東−南西方向の構造とは異なり,南北から北北東−南南西方向の走向を示す(図4.1).このような地形は後述するように,東西圧縮応力によって形成された摺曲構造を示している(図4.4).日本海東縁の地理的範囲の定義は明確でないが,東西圧縮を原因とする褶曲が分布する範囲であるとするならば,その範囲は,南端が富山トラフであり,北端は武蔵堆,礼文島から,サハリンへと続いている.西縁は,佐渡海嶺,松前海台および奥尻海嶺の西縁とほぼ一致する.この日本海東縁は,日本海の主要構成要素である北東−南西ないし東西方向の走向をもつ日本海盆,大和海嶺,大和海盆と斜交して接している.
 日本海東縁は,大和海盆の東縁に接する佐渡海嶺から東北日本の海岸に至る大陸斜面からなる南部,日本海盆に接する奥尻海嶺を中心とする中部,そして北海道西岸沖の北東部の3つの海域に大きく分けることができる(岡村ほか,1998).以下に,日本海東縁の基本的な地質構造について述べたのち,これらの区分した海域ごとの圧縮を原因とする地形,地質構造について概観することとする.
 
 

 a)1964年新潟地震
 新潟地震は粟島のすぐ南側を震源とし,北北東方向に延びる長さ約80kmの余震分布域(図4.4)におおよそ一致する震源断層が推定されているが,西傾斜の高角逆断層とする考え(Abe,1975;草野・浜田,1991)と,東傾斜の低角逆断層とする考え(Satake and Abe,1983;Mori and Boid,1985)がある.地震の観測データから推定されている震源断層の位置は,地質構造から認められる粟島隆起帯にほぼ一致することから,粟島隆起帯を形成した断層が新潟地震を引き起こした可能性が高い.それらの断層はいずれも西傾斜することから,新潟地震の震源断層も西傾斜の逆断層であると考えられる(岡村ほか,1994).そうであるなら,新潟地震は活構造とよく対応する地震であり,活構造から場所と規模を予測可能な地震であるといえる.

(中略)
4.6 まとめ
 現在の日本海東縁の地質構造は,1500万年以上前の日本海の拡大時に形成された正断層を伴う伸張構造に,約300万年前以降の東西圧縮応力によって成長した短縮変形が重なり合ったものと理解できる。
 最近約300万年間にわたって作用し続けた東西圧縮応力によって,南北性の逆断層が数多く発達してきた。逆断層はその上盤に非対称な断面を呈する背斜構造を必ず伴う。逆断層の多くはかつての正断層が再活動したものであり,その位置や形態,あるいは全体的な断層の分布は日本海の拡大時に形成された伸張変形構造に強く規制されている。その−方で,かつての正断層との関係が明瞭でない逆断層もある。
 これらの逆断層は日本海東縁の大陸斜面域から東北日本および北海道の陸上まで,幅150−200kmにわたって広く分布する。そのなかで断層はいくつかの断層帯に集中する傾向が強い。それらの断層は過去数十−100回以上の地震を繰り返してきたと考えられ,今後も地震を発生させる可能性は高いと推定される。一方で,20世紀に発生した大規模な地震の震源断層は,活断層の構造と一致する場合と一致しない場合がある。
 今後,活断層と地震との関係をさらに明確にするためには,分解能の高い構造調査を技術開発を含めて進めることが必要である。さらに,最近の火山の分布や地殻構造も地震の規模や発生領域の広がりに影響を与えている可能性が高いため,地殻深部の構造とも関連させて研究を進めることが重要である。


第5章 陸城の活断層と古地震
太田陽子・鈴木康弘
 日本海東縁の活構造は,日本海溝や南海トラフのそれに比べて複雑な様相を呈している。海域の活構造の解説で述べられるように,さまざまなタイプの活構造が混在し,構造に不連続も大きく,隆起・沈降のセンスにも地域差が大きい。活構造の密集するゾーンの東西幅は広く,陸域にもかかっている。
 東北日本の陸域には,このプレート運動と関連があると推定される東西圧縮性の構造が数多く確認される。その範囲は日本海海岸部から脊梁山脈付近までの広域に及んでいる。本章では,陸域の活構造を日本海東縁の構造の一部と位置づけ,これらの活構造の全体像を提示する。海域同様もしくはそれ以上に地域差が大きいため,地域ごとの記載を北から順に行う。また,これらの構造の地震テクトニクスを考察するため,歴史地震やトレンチ調査によって判明した古地震についても概説する。これによって,日本海東縁・陸域の活構造の全体像をみていきたい。

5.1 活断層と地形・地質との関係
 活断層とは,「第四紀中・後期以降繰り返し活動して地震を発生させ,将来も活動すると思われる断層」と定義され,その継続的な活動は地形発達に影響を及ぼす。一部の伏在断層を除いてほとんどの活断層は,段丘面・沖積低地の変形や地形境界などとして,活動の痕跡を地形に明瞭に残している。東北日本は地形構造が規則的で,活断層運動が地形形成に及ぼす影響の特に大きな地域である。
 日本海東縁地域の陸域の活断層分布例を図5.1に示す。活断層の分布は活断層研究会(1991)に基づいているが,構造の連続性を表現することに主眼をおき,変位地形が途切れていても,それが侵食の影響と判断される場合には断層線をつないで表現した。したがって図5.1は活断層系分布図というべきものである。活断層の活動度も示し,比較的小規模な副次的な断層等は省略している。
 この図に示されることは以下の点である。1)活断層の大部分は島弧の方向と平行にほぼ南北方向に走り,上下方向の変位速度で活動度は一般にB級(平均変位速度で0.1−1.Om/千年)で,東西圧縮の場で形成された逆断層である。2)おもな活断層系の位置は山麓線付近にあり,新第三紀層および更新世の堆積域(盆地)と隆起域(山地)との地形境界に一致する。変位の向きは山地側隆起を示す。このことは,現在の山地と盆地との分化・形成がこれらの逆断層運動と密接に関係していることを示している。また,3)活断層の分布は火山フロント沿い(東北日本脊梁山脈東縁)においては,活火山の分布と相補的な関係にある(Watanabe,1989)。
(中略)

5.5 まとめ
 日本海東縁の陸域の活構造に注目すると,断層系の連続性は海域に比べて断続的である傾向がある。この地域のおもな構造はほとんどすべて逆断層であるが,その断層形態および変位様式に地域差は大きく,複雑な様相を呈している。逆断層の起源が中新世の伸張テクトニクスの場で形成された正断層のインバージョンである可能性が高いことも,このような複雑さを生み出す原因の1つとなっていると思われる。これらのことを反映して,地震発生様式も一様でない可能性が高い。
 プレート境界として注目した場合,太平洋岸の海溝沿いの構造とは,構造の連続性や変位様式の不規則性において大きく異なっている。日本海東縁のプレート境界構造に関しては,プレート間変形とプレート内変形とを区別し難いなど,いまだに不明な点が多い。しかし,活動度の高い水平短縮を担う活構造が陸域にも数多く存在し,しかも南北方向へ同様の構造が配列していることは事実である。陸域の脊梁山脈付近までに広いゾーンを,広義のプレート境界と捉えることが妥当であろう。狭義のプレート境界により近い構造ほど高い活動度を有している点は注目に値する。図5.16には,おもな活断層系と海岸隆起の顕著な地域をまとめてある。これは地形学的にみた一種の歪み集中帯ともいえる。
 この地域の地震発生ポテンシャル評価は防災上も有効であることはいうまでもない。陸域の活構造に関しては海域のそれに比べると調査がしやすく,古地震の時期ばかりでなく,断層に沿う地点ごとの断層変位量に関する基礎資料を収集し,断層の動的モデルや地震規模想定を充実させることが重要であろう。


第6章 堆積物に残された古地震
下川浩一・池原研
6.1 はじめに
 地震発生時にはさまざまな地質現象が現れる。断層運動は地盤の鉛直あるいは水平方向への食い違いを生じさせる。このような急激な地形変化による地盤の不安定や地震による激しい振動は斜面の滑落・滑動の原因となり,地すべりや土砂崩れを引き起こす。また,地震の激しい振動は,堆積物粒子間隙を埋める液体の水圧を上昇させ,地盤の液状や流動化を生じさせる。海域での大きな地盤変動はしばしば津波の発生原因となる。地震に伴う海底斜面の崩壊もまた,津波の発生原因の1つと考えられている。このような地震発生時の地質学的諸現象は地層記録として残される場合がある(たとえば,池原,2000a)。たとえば,断層運動に伴う地盤の沈降はその場の堆積環境の変化を引き起こすことがあり,沈降後には異なる環境下の堆積層が形成されることになる。斜面崩壊による堆積物,液状化・流動化による堆積層の変形や砂脈なセは堆積層中に残される場合がある。津波の大きなエネルギーは通常の環境下では運搬されないような大きな礫の大規模な移動や,通常時は泥の堆積場に粗粒物質を供給・堆積させる。
 このような地震時に起こる現象の記録を堆積層中から読み取り,その発生時期を特定できれば,歴史史料には残されていない遠い過去からの地震発生時期や発生間隔,規模などの推定が可能となる。特に自然堆積物中の記録の解読は歴史史料に乏しい地域における古地震解析に非常に有効な手段の1つといえる。このような地層記録からの古地震解析のためには,1)地震起源の記録であることの特定,2)正確な発生年代の特定,が必要である(池原,2000a)。また,ある場所のある地震に対して,どのような現象が起こり,どのような形で地層中に記録されているかをきちんと把握しておくことも重要である。
 ここでは,1993年北海道南西沖地震時に北海道沿岸陸域と海底で生じた現象と地層記録についてまとめる。そして,堆積物中に残された記録から日本海東縁における過去の地震について考える。

(中略)

6.5 まとめ
 以上のように,日本海東縁部では,地震時に沿岸域および海底に残された堆積物を解析することにより,地層記録の中に類似の現象を読みとることが可能になり,歴史記録を超えた長期間の地震活動を明らかにすることに一歩近づいたといえる。つまり,陸上にみられる液状化堆積物,崩落堆積物,および津波堆積物が,また,深海底堆積物中のタービダイトが古地震解析の1つの手段として有効であることを示している。
 しかし,歴史史料や考古遺跡に残された記録と対比して議論するためにはまだ解決せねばならないことが多いのも事実である。地震記録であることの証明に関しては,津波堆積物およびタービダイトについて,その発生域から堆積域までの堆積作用・堆積過程の解明が重要である。
 前者については,太平洋側ではあるが,Nanayama et al.(2000)が,霧多布湿原に広範囲に分布する津波堆積物を,火山灰層を指標として,1枚1枚詳細に追跡することにより,過去の津波の遡上過程を再現する試みを行っている。
 また,後者について,池原・井内(1998)や池原ほか(2001)などの1993年北海道南西沖地震時のタービダイトの特徴の正確な把握は,この地域の海底堆積物を用いた古地震解析に基礎データを提供するであろう。さらに,近年の最新式調査機器を駆使した,斜面崩壊からタービダイト堆積に至るさまざまな過程の詳細を堆積学的に検討することが重要である。この理解は,海底斜面の崩壊による津波の発生と被害予測の面からも大切であろう。
 それでも,津波堆積物やタービダイトを堆積させた地震の発生源である断層の位置や地震動の大きさなどについては不明の点も多い。これに関して,佐竹(2000)は,渡島大島の詳細な海底地形図をもとに,大規模な海底地すべりを読みとり,そこから津波の数値シミュレーションを行って,各地の津波の高さを算出した結果,歴史文書から推定されたものとよく一致することを確かめた。このように,詳細な海底地形調査や海底地質構造探査から津波やタービダイトの発生域を明らかにするとともに,その規模を数値シミュレーションによって検証するといった総合的な検討も必要である。
 一方,堆積物の正確な堆積年代の決定に関しては,最新の年代測定技術を導入し,より確からしい年代値を得る努力が必要である。複数の年代決定方法を組み合わせることも有効であろう。しかし,堆積物の状況によっては最も望ましい年代決定方法が使用できない場合もある。また,堆積過程で古いものを取り込むなど堆積物自身が内包する年代決定の問題点や放射性炭素年代値の暦年代への変換のための基礎的情報の不足もあり,歴史史料との直接的対比にはまだ解決せねばならない問題が残されているのも事実である。今後,歴史史料や考古遺跡,陸上活断層調査結果などと直接対比できるような手法の確立のための努力は必要である。
 しかしながら,堆積物を用いた古地震解析はようやく始まったところであり,各地で妥当な調査結果が出始めていることを考えれば,使用している年代決定方法の精度を正しく理解したうえで,多くのデータを出していくことが現時点では大事だと考えられる。今後,いろいろな場所でその場に応じた方法で解析を進めるとともに,同じ地震を対象として異なる手法を適用し結果を比較することにより,堆積物を用いた古地震研究がより一層発展するものと期待される。


第7章 新第三紀以降の歪み集中帯
岡村行信
7.1 はじめに
 東北日本弧は東側から太平洋プレートが沈み込むことによって発達してきた島弧である。通常の島弧では海洋プレートの沈み込みに近い前弧域で圧縮応力が強く,その反対側の背弧側では伸張応力場になることが多い。しかしながら,背弧側に位置する日本海東縁には,前弧側の太平洋沿岸域よりも東西圧縮による断層・摺曲が顕著に発達し(Nakamura and Uyeda,1980),M7.5を超える逆断層型の大地震も大陸斜面に沿って系統的に発生してきた(Ohtake,1995)。このような背弧側の東西圧縮歪みをうまく説明する仮説として登場したのが,日本海東縁収束プレート境界説である(中村,1983;小林,1983)。その説が発表された直後の1983年に日本海中部地震が起き,さらにその10年後に北海道南西沖地震が発生したこともあって,日本海東縁が収束境界であるという考えは,地震や地球物理の研究者に広く受け入れられるようになった。実際に20世紀に日本海束縁で発生した大地震の震源域は,新潟沖から北海道西方沖まで大陸棚から大陸斜面上にほぼ線状に配列し(図7.1),プレートの沈み込み境界での地震発生パターンとよく似ている。
 −方,日本海東縁から東北日本弧の地質構造をみると,第TT部で述べられているように,逆断層や摺曲構造が海域から東北日本の内陸まで広い範囲にわたって分布していて,典型的な沈み込み境界である海溝域とは地質構造が大きく異なっている(岡村ほか,1998)。大規模な逆断層は部分的に発達することはあっても,日本海東縁全体にわたって連続することはなく,プレートの沈み込みを明瞭に示すような地質構造は見当たらない。東北日本弧や日本海東縁を地質学の立場から研究する者にとって,この複雑な地質構造の成因を単純なプレート境界に帰することには抵抗がある。
 このように,日本海東縁のテクトニクスは,地震データに基づいて考察するか,地質構造を重視するかによって見え方が違ってくるという特徴がある。
 日本海東縁に分布する活断層の地震発生間隔は1000年以上で,数千年のものも多いと推定されている(栗田,1999)。それに対して,我々が知っているのは歴史地震も含めて数百年間の地震であるから,日本海東縁の活動サイクルのなかでも,一部の期間の地震活動しか知らないことになる。一方,それぞれの活断層は地震が数百回以上繰り返すことによって形成されてきたもので,約300万年間の地穀変動が累積した結果を示している。活断層から推定される地殻変動と最近の地震の発生パターンから推定される地殻変動とが一致しないことは,300万年間という期間のなかで,地震の発生間隔や発生パターンが変化してきたことを示唆している。そのため,活断層だけ,あるいは既知の地
(中略)

7.2 地質構造が示す歪み集中帯
(1)断層・活褶曲の分布と特徴
 第3章で述べたように,日本海東縁海域には背斜構造と逆断層が連続する断層・摺曲帯がいくつも発達している(図7.2;岡村ほか,1998).−方,断層や褶曲が全くみられないゾーンも断層・褶曲帯の間に分布する.このことは,日本海東縁では地殻の歪みは断層・褶曲帯に集中してきたことを示している.逆断層は約300万年前以降に成長し始めたと考えられるので,断層・褶曲帯は約300万年間に地殻の短縮歪みが集中した場所であると考えてよい.
 
 

7.5 まとめ

 日本海東縁の海域と陸域を通じて,摺曲構造に注目した地質構造の解釈によって,地質学的歪み集中帯を定義できることを示した。その分布から,海域から陸域まで幅約200kmに達する日本海東縁のなかで,過去300万年間という期間をかけて,3−4列の短縮歪みの集中帯は形成されてきたことが明らかになった。このことから,地質学的に明瞭なプレート境界は日本海東縁には存在せず,そこが幅200km以上に達するプレート境界域として変動が進行してきたと考えるのが妥当である。さらに,地質構造から地殻の短縮量と短縮速度を推定することによって,地震あるいは地殻変動などに基づいて推定される時間スケールの異なる歪みの分布や速度との比較が可能になった。地質構造に基づいた短縮速度の推定には誤差がかなり含まれているが,地球物理学的な手法で求められたプレート収束速度より,小さいと推定される。このことは,過去300万年間のなかで,歪み速度が増加してきていることを示唆している。また,地質学的歪み集中帯のなかでも,かつては活発に歪みが集中していたのに現在は歪み速度が小さくなっているところがあるかもしれないし,逆に最近になって歪み速度が増加しているところがあるかもしれない。日本海東縁の地震発生ポテンシャル評価の信頼性を向上させるには,それぞれの歪み集中帯での変動域の移動や変化を,時間分解能の精度を上げて明らかにすることが重要である。


第8章 第四紀後期の歪み集中帯
栗田泰夫
8.1 はじめに
 1995年兵庫県南部地震による阪神・淡路大震災を契機として,長期的な地震発生予測をめざして,日本の陸域および沿岸域の主な活断層について歴史・先史時代の活動履歴に関する調査が急速に進められてきた。蓄積されつつある活動履歴データは,個々の断層の活動様式を解き明かすだけでなく,断層活動の相互作用や,地域における地震活動の特徴を明らかにしつつある(栗田,1999b;地質調査所活断層研究グループ,2000)。本章では,日本海東縁部の短縮変動帯(第7章参照)のうち東北日本弧内陸の活断層について,起震断層もしくは活動セグメントを単元として,その長さ・単位変位量・再来間隔および平均変位速度の地理的な分布を検討し,第四紀後期の断層活動からみた歪み集中の特徴を概観する(第5章参照)。
 起震断層(松田,1990)は,地震断層の分布形態に関する経験則から,1つの大地震で活動する可能性が高いと考えられる活断層の区間である。松田(1990)は,日本および世界の地震断層の分布形態から,@5km以内の分布間隔をもってほぼ一直線にならぶ複数の活断層,A5km以内の分布間隔をもつ活断層群などを,起震断層として扱うこととしている。さらに日本の地震断層の活動履歴データからは,地震断層の多くは,異なる活動履歴をもつ複数の活動セグメントから構成されていることがわかってきた(栗田,1999b)。従来の「国有地震説」を踏襲すると,「固有規模の活動を繰り返す断層の基本単元が活動セグメントであり,地震発生に際してはセグメントが単独で破壊することも,隣り合う複数のセグメントが連動破壊することもある。そのうち,地震発生の際のセグメントの組み合わせとして,最も可能性の高いものが起震断層である」といえる。
 以下では,規模の大きい地震ほど発生数が少ないとの観測事実を考慮して,起震断層はより少ない数の活動セグメントから構成されている可能性が高いとみなした。また,起震断層あるいはそれを構成する活動セグメントでは,断層区間全体がいつも同時に活動し,その主部における変位量はほぼ一様であると仮定し,少数の地点で得られた活動履歴データをセグメントの代表値として採用した。検討対象として,松田・衣笠(1994)による長さ20km以上かつ活動度B級以上の起震断層に加えて,活境曲および伏在活断層を含めて新たな起震断層を認定をするとともに,日本海沿岸での地震に伴う地殻変動から起震断層・活動セグメントを推定した(栗田,1999b)。
(中略)

8.3 断層活動の規模
(1)起震断層・活動セグメントの長さ
 東北日本弧内陸では26の主な起震断層が認定でき,その長さは大部分が45km以下である(表8.1).起震断層のうち長さが50kmを超えるものは,双葉断層(70km)・横手盆地東縁断層帯(54km)および信濃川断層帯(60km)の3つであるが,いずれも活動時期や平均変位速度が異なる複数の活動セグメントから構成されることが知られている.また,長さ46kmの山形盆地西縁断層帯と40kmの庄内平野東縁断層帯は,最新あるいは1つ前の活動時期の違いから,それぞれ2つの活動セグメントに区分される.このように,東北日本弧内陸では,主な断層の活動セグメントの規模は長さ45km以下であり,表8.1の双葉断層南部を除く31の活動セグメントの長さは平均28kmである.
 日本海の沖合い海域では,しばしばM7.5以上の巨大地震が発生し,それらの震源断層の長さは80−145kmと,内陸の活動セグメントの2−数倍にも及んでいる(第3章および第5章参照).しかし,それらの巨大地震は,複数のセグメントが同時に破壊した多重セグメント地震とされており,個々のセグメントの規模は内陸の活動セグメントと差が認められない.
 たとえば,1983年日本海中部地震(M7.7)では,震源断層の長さは100kmであるが,サブイベントの破壊開始時刻や破壊伝搬速度の違いから3つのセグメントが連動破壊したと解析されている(Sato,1985,図8.4).また1993年北海道南西沖地震(M7.8)では,震源断層の長さは145kmであるが,破壊過程の不均一性と断層面の傾斜方向の違いなどから5つセグメントが連動破壊したと解析されている(Tanioka et al.,1996).さらに1964年新潟地震(M7.5)では,長さ80kmの震源断層のほぼ中央から南北双方向に破壊が伝搬したと解析されている(Abe,1975).これらの震源過程から推定されるセグメントの長さは25−40kmである.
 内陸の断層においても,複数の活動セグメントが連動破壊した例が見出せる.1896年陸羽地震や,糸魚川一静岡構造線断層帯の最新活動(奥村ほか,1998)では,連動して破壊する範囲が複数の起震断層にまで及んでいる.また日本海沿岸地域で発生した17−20世紀の一連の地震や,山形盆地西縁断層帯の2つのセグメントの最近2回の活動サイクル,あるいは長町一利府線断層帯・福島盆地西縁断層帯・双葉断層の最新活動の例では,直線的に連続あるいは近接する断層間で連鎖的に地震が発生したと解釈できる.
 歴史時代以降の最新活動に限れば,東北日本弧の内陸では活動セグメントが単独で破壊したと考えられるM7.0前後の地震が多く発生し,セグメントが多数連動してM7.5を超える大地震は日本海の沖合に発生する特徴が認められる(図8.4).しかし,内陸においても連鎖的な地震の発生が少なくないと解釈できることから,有史以前の活動において多数のセグメントが連動破壊してM7.5程度を超える大地震が起こった可能性は,必ずしも低いとはいえない.
 
 

(中略)
8.6 まとめ
 日本海東縁部の短縮変動帯は,東北本州弧の外帯山地付近から日本海沖合に至る幅広い逆断層帯からなり,歴史的にもさまざまな規模の地震が発生している。しかし,固有の断層活動を繰り返す活動セグメントを基本単元としてとらえると,この変動帯では,セグメントごとの断層活動の規模はおおむね一定であるといえる。すなわち変動帯における長期的な断層の活動性は,その活動の規模ではなく,活動の再来間隔に関係しているとみなせる。断層活動の平均変位速度と再来間隔の地理的分布からは,太平洋側から日本海沿岸に向かって活動性が高まる傾向が明瞭に認められた。とりわけ日本海沿岸の南部地域は,我が国の内陸・沿岸部において最も断層活動が活発な地域の1つになっている。
 地震の規模は,内陸部ではM7.0クラスの単−セグメント地震となり,日本海沖合ではより規模の大きな多重セグメント地震となる傾向が認められた。しかし,単一セグメント地震にも連鎖的な発生が認められ,セグメントが相互に作用して活動する点では,多重セグメント地震と同じ現象ともみなせる。日本海東縁部で発生する地震の規模を予測するためには,セグメントの相互作用についての定量的な検討が必要である。
 本章においては,第四紀後期における断層の活動性すなわち再来間隔を地殻歪み速度に換算して,より長期の地質学的な歪みや,より短期の測地学的な歪みと比較を試みた。その結果,第四紀における断層活動の一様性と,地震サイクルに伴う非一様性とが明らかになってきた。今後も,これらの異なる時間領域のデータを相互に補完させることによって,この変動帯のテクトニクスをより精密に,かつ高い信頼度で解明していくことが可能になるであろう。


第9章 明始期以降の歪み集中帯
鷺谷威
9.1 はじめに
 前章まで地質・地形のデータに基づいて日本海東縁部の歪み集中帯を議論してきた。本章では,明治時代以降に得られた測地学的なデータを用いて,数年から100年といった比較的短い時間スケールにおける日本海東縁部の地殻変動と歪み集中帯の特徴をみてみよう。
 日本列島においては,正確な国土情報の把握と地図作成を目的として,三角測量や水準測量の観測網が1880年代より整備された。これらの観測網が繰り返し測量された結果,日本列島の地殻変動に関して世界的にみても貴重なデータがもたらされた。さらに,最近ではGPS(GlobalPositioningSystem,全地球測位システム)の観測網が日本全国に整備され,地殻変動の観測精度が飛躍的に向上するとともに連続的な監視が可能になった。これらの地殻変動データは,日本列島で過去に発生した大地震や現在進行しつつあるテクトニックなプロセスを直接反映していると考えられている。 日本海東縁部では1964年新潟地震(M7.5),1983年日本海中部地震(M7.7),1993年北海道南西沖地震(M7.8)などの大きな地震が相次いで発生し,ここでプレートの沈み込みが始まっているという説(中村,1983;小林,1983)が広く受け入れられつつある。しかし,プレートの沈み込みを表す深発地震面(和達・ペニオフ・ゾーン)がみられず,大地震の繰り返し間隔が数百年以上と比較的長いこと(たとえば,南海トラフでは約120年である)などを考慮すると,日本海東縁部を日本海溝や南海トラフなどの典型的なプレートの沈み込み境界と同列に論じることはできない。
 本章で扱う測地学的なデータは,日本海東縁で発生する大地震の繰り返し間隔よりもはるかに短い過去約100年分しかなく,これらの大地震に関連する地殻変動の全貌をとらえているとは言い難い。一方,前章までで扱った地質・地形のデータは,過去に何度も繰り返してきた大地震の影響を積算された形で記録しており,長期間にわたる平均的な変位速度をよりよく反映していると考えられる。このような長期間のデータと比較すると,測地学的な観測データは,観測精度そのものは高いものの,その解釈にはおのずと限界がある。また,測地測量のデータは陸上に限られているという制約もある。日本海東縁部における変動帯の主要部分は海底下にあり,陸上の観測からその様子を探ることは大変難しい。こうした測地測量の弱点を補ううえで,日本海側の離島内および離島と本州との間の測地観測は大変重要である.
 このように測地学的に得られる地殻変動データには問題もあるが,地質・地形のデータとは別の重要性をもっている。地質学的な時間スケールで観測される変動は各瞬間における変動が長期間にわたって蓄積した結果にほかならないのであり,
(中略)
9.6 まとめ
 明治時代以来約100年間の測地測量データと最近のGPS観測データは,日本海東縁部に歪みの集中帯が存在し,さらに南側では中部地方から近畿地方へとつながっていることを示している。東北地方北部以北の陸域では歪みの集中はあまり明瞭ではない。
 歪み集中帯の幅は数十−200km程度で場所によって変化する。歪み集中帯の内部では東西ないし北西一南東方向の圧縮が卓越し,歪み速度は0.1ppm/年程度と周囲よりも一桁程度大きい。水平方向の圧縮に伴う上下変動も生じている。
 歪み集中帯の成因,測地学的な歪み速度と地質学的な歪み速度の違いなどに関する仮説はあるが,いまなお未解明の問題である。


第10章 日本海束縁の地震活動からみた歪み集中帯
石川有三
10.1 広域の地震活動とテクトニクス
 日本海東縁新生プレート境界説が登場した当初,ここは,ユーラシアプレートと北米プレートの収束境界であると考えられた(小林,1983;中村,1983)。しかし,西側のユーラシアプレートについては,その頃すでに,アムールプレートなど多くのマイクロプレートに分割されているという提案がなされていた(Zonenshain and Savostin,1981)。その後,アムールプレート自体もいくつかに分割するモデルも提案された(Ma,1988)。一方,東側についても,北米プレートから分離したオホーツク海およびベーリング海両プレートの存在が提案された(石川・干,1984)。現在では,日本海東縁の東側はオホーツクプレートとする考えが広く受け入れられている(詳しくは第2章参照)。この節では,東北アジアのプレートテクトニクスをめぐるこれらの諸論を踏まえつつ,広域の地震活動の状況を概観する。
 図10.1に,最近約37年間に起きた浅い地震(深さ40km以浅)の震源分布を示す。この震央分布図から,ユーラシア側のプレート境界を確定することは困難である。しかし,バイカル湖から日本海に至る図の中央部では地震活動が比較的に低く,それを取り巻く周縁部では帯状の震源分布が断続的に認められる。第2章の図2.1と比較すると,この帯状の震源分布がアムールプレートの境界に対応していることがわかる。特に,日本海東縁からサハリンにかけては震源の南北の並びがはっきりとしており,広域の空間スケールでみる限り,アムールプレートの東縁は明瞭といってよい。また,アムールプレート北西縁のバイカル湖からその東北東のスタノポイ高原までの部分も,明瞭な地震帯を形成している。しかし,その東へ連なるスタノポイ山脈からサハリン北方までの地域はあまり明瞭ではない。むしろ,震源分布は,スタノポイ高原の東端から南東方向へ続いているようにみえる。一方,アムールプレートの南縁とされる中国の華北地域から西南日本の内帯にかけては,震源が広い範囲に分散しており,単一のプレート境界の存在を想定するのには無理がある。
 図10.2は,ハーバード大学CMTグループのセントロイド・モーメントテンソル解1)によって,起震応力の圧縮軸(P軸)と張力軸(T軸)の方位を示したものである。いずれも地表面への投影で表示されているので,線分が長いほどP軸または
(中略)
10.6 まとめ
 地殻の変形が集中的に進行する歪み集中帯は,地質・地形,測地測量など,さまざまな方法で識別することができる。なかでも,地震活動が集中的にみられる地震帯は,まさに現在活動中の歪み集中帯といってよい。この章では,最近約40年間の浅い地震の震源分布に基づいて,日本海東縁の歪み集中帯の分布とその特徴を明らかにした。サハリンから日本海東縁に至る地域は,アムールプレート周縁でもとりわけ地震活動が活発であり,この地帯の地震テクトニクスの解明は,東北アジア規模のプレート運動を明らかにするうえでも,特に重要な意味をもっている。
 北海道から中部地方北部に至る日本海の東縁部は,全体として,プレートの収束に伴う東西圧縮の応力場にある。震源分布は,プレート境界と平行な南北走向のトレンドが支配的である。しかし,このプレート境界に対応する単一の大規模な地震帯は存在しない。図10.6に示したように,幾条もの小規模な地震帯が識別され,これらが網目のように分岐・合流しているのが実体である。海域では,北海道の北西沖から佐渡の北を経由して糸魚川沖まで,比較的に明瞭な地震帯が認められる。これは,小林(1983),中村(1983)が提唱した新生プレート境界とほぼ一致する。しかし,その明瞭度,活動度は一様ではない。特に,佐渡の南西沖海域では震源が広範囲に分散している。沖合いの地震帯に並行して,内陸ないし沿岸部にも断続的な地震帯が識別される。北海道北西部の天塩山地沿いの地震帯,東北地方の脊梁山地に沿う地震帯,男鹿半島付近から南下して1964年新潟地震の震源域に連なる地震帯などである。日本海東縁では,これらの小規模な歪み集中帯がプレート境界の変形を分担し,全体として日本海東縁の変動帯を形成していると考えるべきである。北海道内陸部の地震活動については,古い時代のプレート境界とも関連している可能性を指摘した(10.3節(2))。 地震活動が集中する地震帯は,おおむね,顕著な活断層が分布する地域と重なりあう。これは,現在の地震活動が基本的には第四紀変動の支配下にあることを示すものである。海域の活断層分布が明らかになったことにより,従来説明困難であった震源配列が理解可能になったものもある(10.3節(2))。しかし,より詳しくみると,地震活動は必ずしも活断層と1対1に対応しているわけではない。渡島半島東側の黒松内低地から函館平野に至る活断層帯や福島県の双葉断層では,一部を除いて顕著な震源の集中はみられない。他方,男鹿半島から南西に延びる地震帯,佐渡と本州の間の短い地震帯などには対応する活断層が知られていない。その原因として,検討に用いた震源分布の期間がわずか40年程度に過ぎないこと,活断層,特に陸域の活断層の調査がまだ完全ではないことなどが考えられる。しかし,震源分布と活断層分布の差異は,断層活動の時間的変化を表している可能性も排除できない。地震活動と活断層の調査をさらに精緻化することにより,両者の関係を解明していく必要がある。なお,逆断層型の活断層においては,地震活動が上盤側に集中する傾向が顕著であり(10.4節),今後の調査ではこのことも考慮に含める必要がある。
 10.5節では,過去約400年間の大地震発生の時空間パターンに基づいて,日本海東縁部はいま地震活動期にあることを明らかにした。また,主要な地震帯の中に4つの第1種地震空白域を指摘し,警戒を促した。過去の事例に従えば,現在の活動期は今世紀の半ば頃まで継続するものと推定される。上記の地震空白域を含め,今後の地震活動の推移に注目していく必要がある。


第11章 日本海東縁変動帯の地震テクトニクスマップ
平朝彦・岡村行信
11.1 はじめに
 地震テクトニクスという分野では,地震学的な情報から長い時間スケールでのテクトニクスを論じたり,テクトニクスの情報から,地震発生場の特性を論じたりすることがしばしば行われている。この議論においては,種々の時間スケールの現象が密接な関連をもって起きてきたという前提の検証が必要である。このような前提の検証方法を確立することは,地震テクトニクスにとって大変重要な問題である。
 特に,日本海東縁変動帯(この用語については第1章を参照)のように約300万年前から新しく変動が始まった場所では,地質構造が未成熟で,歪みの集中する場所が必ずしも一定せず,広く分散したり,移動してきたりしている可能性が高い(第4章を参照)。したがって,短時間の地震活動だけでなく,さまざまな時間スケールでのテクトニクスの情報を総合的に論じることが大切であり,またそれらの関連を詳しく検討することが必要となる。前章までの論述においては,さまざまな時間スケールでの現象が解説されてきた。ここでは,さまざまな時間スケールの変形現象を総合したマップを作成してお互いの関連性を検討し,日本海東縁変動帯の地震テクトニクスの特性を論じ,地震ポテンシャル評価に対する課題について述べることとする。まず,日本海東縁変動帯におけるさまざまな時間スケールでの地殻の変形現象とはどういうものか,まとめておこう。

(中略)

11.4 まとめ
 中村(1983),小林(1983)による日本海東縁プレート境界説の提唱以来,日本海東縁部では,糸魚川−静岡構造線から佐渡の西側を通って松前海台,奥尻海嶺さらに間宮海峡に抜ける明瞭なプレート境界がしばしば描かれてきた。しかし,第四紀以来の歪み集中帯の分布をみると,歪みははっきりした1つの境界で解消されているのではなく,口絵2で示したように複数の歪み集中帯が分担して受け持ってきた可能性が強い。
 しかしながら,歴史地震が示す最近数100年程度のスケールでの地震活動やGPS測位結果をみると,現在最も活動的な地帯は比較的限定されている可能性が指摘できる(第1章と第12章を参照)。特に,日本海盆の海洋底との海陸境界部(すなわち大部分は奥尻海嶺とその延長部)に限ってM7.8クラスの日本海東縁部では最大級の地震が起こっているのがわかる。これは,この境界部で歪みの集中がより卓越しており,また破壊域が大きいことを示す。日本海盆が海洋地殻を有していることから,ここでは海洋性のプレートの沈み込みがすでに始まっているかもしれない。
 日本海東縁はリフティングによって形成された大陸斜面であったが,新たなプレート運動の変化によって収束境界になろうとしている。現在は収束境界の形成過程にあるため,圧縮歪みの集中する場所が変動していると考えられる。その変動は,100万年のオーダーで生じてきたことは間違いない。今後,この領域での地震発生ポテンシャルを考察するためには,さらに短い時間での歪み集中場の移動にも注目し,その原因と実態を解明していくことが必要である。


第12章 日本海東縁の地震発生ポテンシャル
大竹政和
12.1 はじめに
 この章では,前章で示した地震テクトニクスマップを踏まえて,日本海東縁地域の地震発生ポテンシャルの評価を試みる。地震発生ポテンシャルという言葉は,起震場が大地震を発生させる潜在的な可能性を意味する。これを適切な時間・空間領域で定量的に評価することによって,大地震の発生予測の指標を与えることができる。1993年(平成5年)に出された測地学審議会の建議「第7次地震予知計画の推進について」のなかで,「地震発生ポテンシャル評価のための特別観測研究の推進」という新たな研究項目が掲げられ,以後,地震学の世界ではこの用語が広く用いられるようになった。
 地震発生ポテンシャルの評価は,まだその方法論が確立されているわけではない。これまでに過去の大地震の生起状況,現在の地殻活動の状況,活断層の活動性などに基づく評価が試みられており,われわれも基本的にこれを踏襲する。しかし,ここでは上記の諸要素を個々独立に取り扱う方法はとらない。第TTT部で詳しく論じたように,日本海東縁では,歪み集中帯という新たな概念に基づいてこれらを統一的に俯瞰することが可能になったからである。本章では,さまざまな調査対象と時間スケールによる歪み集中帯の分布に着目しつつ,大地震の発生ポテンシャルを検討していく。
 なお,本章で用いる地震規模Mは,特に断わらない限り気象庁マグニチュードまたはこれに準拠したものである。

12.2 過去の大地震
 地震発生ポテンシャルの検討に先立って,まず,過去の大地震の発生状況を概観しておこう.日本海東縁の地震活動全般については,すでに第3章と第10章で詳しく分析したので,必要に応じてこれらを参照されたい.ここでは,M7以上の大地震に着目して,その生起状況の特徴点を取りまとめる.
 表12.1は,既存の地震カタログに基づいて,これまでに日本海東縁に発生したM7以上の浅発大地震をまとめたものである.地震を抽出した範囲,震源要素の出典については表の脚注を参照されたい.これら20個の地震のうち,No.5に掲げた1741年渡島大島の地震については注意を要する.沿岸各地に最大10mを超える津波が来襲したが地震動による被害の記録はなく(羽鳥,1984a),渡島大島の噴火またはそれに伴う海底地すべりによる津波ではなかったかと考えられている.しかし,地震の規模に比べて地震波の励起がきわめて小さいスロー地震1)であった可能性も否定しきれないので(Fukao and Furumoto,1975;相田,1984を参照),疑問符つきで地震としてリストに残した.  当然のことながら,古い時代の地震についてはリストからの漏れが避けがたい.しかし,江戸幕府の支配体制が確立した1630年代以後の最近約370年間については,北海道を除いてM7以上の大地震はほぼ完全に網羅されていると考えてよい.図12.1は,これら20個の地震の震央を地質学的時間スケールでみた歪み集中帯(図7―2)と重ね合わせて示したものである.説明の便宜上,歪み集中帯にEHMWの符号を付した.
 表12.1によれば,最近約370年の間に日本海東縁では,M7以上の大地震が平均して約20年に1回の割合で発生していることになる.太平洋側の日本海溝沿いに比べると頻度は相対的に低い.しかし,震源が内陸部ないしその沿岸に位置することを考慮すれば,日本海東縁の地震危険度は決して低くない.  一方,日本海東縁では,全域を通じてM8を越える巨大な地震は知られていない.地震の規模と発生頻度の関係を表すグーテンベルク・リヒターの式からは,M7以上の地震が20個発生する間にM8以上の地震が2個程度発生することが期待される.しかし実際には,この期間にM8以上の地震は発生しておらず,地震規模は最大でも1993年北海道南西沖地震のM7.8にとどまった.日本海東縁地域では,M7 3/4付近に地震規模の上限があり,将来もM8級の巨大地震が発生する可能性は低いと判断される.地震の上限規模についてはUtsu(1974)の統計学的な研究がある.この調査でも,日本海東縁では太平洋側の三陸沖,十勝沖などに比べてはるかに小さい上限規模が得られている.
 
 
 
12.4 近未来の地震発生ポテンシャル
 この節では,今後百年程度以内の近未来の大地震について検討する.地震発生ポテンシャルの評価にあたっては,前節の超長期的評価を踏まえ,さらに明治期以後の歪み集中帯(第9章)および近年の大地震の生起状況を参照しつつ検討を行う.
 日本海東縁の全域を通じて,主地震帯は最も活動度の高い注目すべきゾーンである.この付近でのオホーツクプレートとアムールプレートの収束速度は,Wei and Seno(1998)のモデルによれば0.7−1.5cm/年程度と推定され(図2.2),150−300年間でM7.5の地震の断層すべり量に匹敵する地殻短縮が生じることになる.プレート境界の地震カップリング,プレート運動の−部が他の歪み集中帯で消費されることを考慮に入れても,主地震帯の大地震は数百年のサイクルで繰り返すと考えねばならない.
 主地震帯の海域部について,ここに発生した大地震の時系列をプロットすると図12.2(a)のようになる.20世紀に入ってから,大地震の発生頻度が加速度的に高まっていることがわかる.この時系列のパターンは,1973年根室半島沖地震(M7.4)に至るまでの千島−日本海溝沿いの大地震の生起状況と酷似し(図12.2(b)),日本海東縁に次の大地震が迫りつつあることを示唆する.
 図12.3に,主地震帯に発生した大地震の震源域を示す.近年の地震については代表的な断層モデルが,1847年善光寺地震(M7.4)については地震断層の出現範囲が示されている.また,M7には至らなかったが,1828年越後三条地震(M6.9)の震源域も宇佐美(1996)の震度分布から推定したものを示した.
 図12.4は,これらの震源断層ないし震源域の長径Lkm)を地震規模Mに対してプロットしたものである.この図からMに対するLの回帰式:
 log L = 0.67M−3.07      (12.1)
が得られる.ただし,1847年善光寺地震の断層長は,過小に見積もられている可能性が高いので統計から除外した.この関係式は,断層パラメターの相似則を仮定して日本全国のデータから求めた
式:
 log L=0.5M−1.88       (12.2)

(佐藤,1989;図12.4の破線)とは若干異なっている.しかし,日本海東緑の地域性も考慮して,下で述べる地震規模の評価には式(12.1)のLとMの関係を用いることにする.
 図12.3には,近年の大地震の未破壊領域がA−Dの記号で示されている.これらの大地震のギャツプ(第1種地震空白域)は,近未来の地震発生ポテンシャルの考察にあたって特に注目すべき領域である.以下に,これら各区間における近未来の地震発生ポテンシャルを個別に検討し,あわせて周辺地域についても言及する.
 
 

(中略)
(3)新潟一長野地域(ギャップD)
 新潟市付近から長野県北部に至る信濃川,頸城丘陵に沿う地域では,地質学的時間スケールの歪み集中帯と明治期以後の歪み集中帯が顕著に重なり合っている.この地域では,最近200年以内に北端部で1964年新潟地震(M7.5),南端部では1847年善光寺地震(M7.4)が発生している.両地震の震源域に挟まれる全長約140kmの区間(ギャップD)は,近未来の地震発生ポテンシャルがきわめて高い地域として,特別の注意を払う必要がある.
 もし,この区間全体が一時に破断すれば,式(12.1)から地震の規模はM7 3/4程度となる.しかし,過去の地震の生起状況からみて,このような巨大な単一地震が発生することは予期しにくい.D領域の中央付近に位置する長岡市北方で,約170年前に越後三条地震(M6.9)が発生しており,この震源域が再び大破断を迎えるのは次の地震サイクルとなるだろう.したがって,D領域に蓄積された歪みエネルギーは,少なくとも越後三条地震以北と以南の2つの区間に分割して放出されるものと期待される.北側は新潟市から三条市北方に至る約40kmの区間,南側は長岡市付近から十日町を経て新潟・長野県境に至る約60kmの区間である.区間長に相当する地震の規模は,式(12.1)からそれぞれM7,M7 1/4程度となる. 北側の区間を含む新潟−長岡付近については,かねてから低地震活動域(第2種,第3種地震空白域)の存在が指摘されている(図12.5).しかし,その範囲は使用した地震の規模,期間などによって異なり,必ずしも統−したイメージが得られているわけではない.今後,この地域の地震活動と地殻変動の変化に細心の注意を払っていく必要がある.
 
 

(中略)
12.5 まとめ

 この章では,歪み集中帯という新しい概念を指針として,日本海東縁の地震発生ポテンシャルの評価を試みた。今後,ほかの地域についても同様の検討が試みられてよい。評価結果は,長期的な地震防災計画,地震予知のための観測計画などを策定する際に,基礎的な情報を与えるものと期待される。しかし,ここで提示したポテンシャル評価は定性的な段階にとどまっており,まだ初歩的なものといわざるをえない。定量的な評価に進むためには,より詳細なデータの蓄積とその総合的な分析が求められる。
 日本海東縁の海域部については,近未来の地震発生ポテンシャルが特に高い場所として,秋田県沖の大地震のギャップに注意を促した。しかし,想定される震源域として2つの候補を指摘したものの,これを1つに絞り込むことはできなかった。その最大の理由は,海底下での歪みの進行状況が不明なことにある。海底の地殻変動を連続的に観測する技術の開発が進み,早期に実海域設置が実現されるよう期待する。
 陸域については,新潟市付近から新潟・長野県境付近に至るギャップDに最大の注意を払う必要がある。この地域では,地質学的な時間スケールでみても最近100年程度の時間スケールでみても歪みが顕著に進行しており,活断層の集中も著しい。しかし,最近の調査・研究で十日町断層が再定義されたように(5.2節参照),活断層の調査もまだ十分とはいいがたい。来るべき大地震の地震像をより明確にするために,地形・地質学的方法,地球物理学的方法を結合した総合的な調査研究を早急に進める必要がある。
 今後のより基本的な問題としては,歪み集中帯に基づく地震発生ポテンシャル評価がどこまで有効か,その近未来の大地震に対する適用性を検証する課題が残されている。現在歪み速度が大きい領域では,地殻の塑性変形が支配的で応力の蓄積がむしろ緩慢である可能性もありうるからである。この間題に答えるためには,地殻の力学過程の理解をさらに深める必要がある。特に,大地震の準備過程における活断層深部の振る舞いを解明することがその重要な鍵となるだろう.

KEY_WORD:NIHONKAICHUBU_:HOKKAIDOUNANSEI_:NIIGATA1964_:SHOUNAI_:RIKUU_:AKITASENBOKU_:SHAKOTAN_:NOSHIRO_:TAKADA_:TSUGARU_:KISAGATA_:SHOUNAIOKI_:ZENKOUJI_:RIKUU_:SHAKOTAN_: