【記事27181】津波堆積物データベース:地域の情報(宮城県仙台平野)(地質調査総合センター2012年1月1日)
 
参照元
津波堆積物データベース:地域の情報(宮城県仙台平野)

地域の情報
宮城県 仙台平野
【宮城県仙台平野で行った調査結果は,2012年 にGeophysical Research Lettersに掲載されました(Sawai et al., 2012).以下に記述する地域の情報は,Sawai et al. (2012)の 解釈に基づくものです.】

 平成17年度から21年度にかけて,文部科学省の委託事業「宮城県沖地震における重点的調査観測(宮城沖重点)」が行われました.これは,東北大学が中心となった事業で,宮城県沖で発生する地震の観測を重点的に行うというものです.産業技術総合研究所では,その一環として仙台平野周辺に残されている過去の巨大地震の痕跡を調べてきました.
 平安時代に編さんされた「日本三代実録」という歴史書によれば,西暦869年に仙台平野の周辺において非常に大きな地震と津波が起きたそうです.この地震と津波は,当時の元号から「貞観地震」あるいは「貞観津波」と呼ばれています.この貞観地震の存在については,地理学者の吉田東伍氏が1906年に指摘していましたが,津波を起こした断層の破壊領域などの実態が不明であることから,地震調査研究推進本部の海溝型地震の長期評価からは外されていました.こうした背景から,私たちは,地質学的な証拠から貞観地震・貞観津波の実態を探ろうとしてきました.
 仙台平野では,宮城沖重点が開始される前から,Minoura and Nakaya(1991),阿部ほか(1990),菅原ほか(2001)などが津波堆積物を報告しており,その中の一つが貞観津波によるものと考えられていました.これらの報告は,歴史記録にある巨大津波の地質学的痕跡をつかんだという点で画期的でしたが,そうした堆積物の平面的な広がりを詳細に明らかにできていませんでした.私たちは,浸水範囲を精度よく復元することを目的として,仙台平野全体を網羅するように,海岸から内陸へ向かう測線を設けて調査を行いました.また,津波堆積物の堆積年代を精度よく決定するために,地層抜き取り装置(ジオスライサー)による調査を仙台市と山元町で行いました(Sawai et al., 2012).

津波堆積物の調査結果

 仙台市では,浜堤列を横断する2 測線を設け,ジオスライサー等を用いて合計104 地点で掘削調査を行いました.その結果,泥炭層あるいは有機質泥層に挟まれた津波堆積物が最大で7 層確認されました.これらの津波堆積物のうち,十和田a火山灰(西暦915年)の直下にあり(津波堆積物が915年の少し前に堆積した),放射性炭素年代測定によってもその堆積年代が確認されたものを,本データベースでは貞観津波による津波堆積物と認定しました(赤色のマーク).また,十和田a火山灰の下にあるものの放射性炭素年代によって年代を確認していない砂層,層序的な対比によって貞観の津波堆積物と考えられるもの,についてはオレンジ色のマークで示しました.少なくとも,オレンジ色のマークのところまで貞観の津波が浸水していたと考えると,当時の海岸線から2.5-3.0 km以上にわたり津波が遡上したと考えられます.
 名取市や岩沼市では,浜堤列を横断する2 測線を設け,合計45 地点で掘削調査を行いました.その結果,泥炭層あるいは泥層に挟まれた津波堆積物が最大で3 層確認され,これらの津波堆積物のうち十和田a 火山灰直下に分布する貞観津波の堆積物は現在の海岸線より約5.0 km の地点まで観察することができました.貞観津波襲来当時の海岸線の位置は,現在の海岸線より1 km 程度内陸に存在していたと推定されることから,貞観津波の遡上距離は少なくとも4 km と考えられました.
 亘理町においても浜堤列を横断するような2 測線を設け,合計48 地点で掘削調査を行いました.その結果,泥炭層あるいは有機質泥層に挟まれた津波堆積物が最大で4層確認されました.これらの津波堆積物のうち,十和田a火山灰(西暦915年)の直下にあり,放射性炭素年代測定によってその堆積年代が確認されたもの(赤色のマーク)は,現在の海岸線から約3.5 kmの地点まで確認できました.また,十和田a火山灰の下にあるものの放射性炭素年代によって確認していない砂層,層序的な対比によって貞観の津波堆積物と考えられるもの(オレンジ色のマーク)は,現在の海岸線から約4.0 kmの地点まで確認できました.貞観津波襲来当時の海岸線の位置は,現在の海岸線より1.5-2 km程度内陸に存在していたと推定されることから,少なくともオレンジ色のマークのところまで貞観の津波が浸水していたと考えると,当時の海岸線から2.0 km以上にわたり津波が遡上したと考えられます.
 仙台平野南部の山元町では,浜堤を横断する1 測線を設け,合計30 地点で掘削調査をしました.測線上では,泥炭層あるいは有機質泥層に挟まれた津波堆積物が最大で8 層確認されました.これらの津波堆積物のうち,十和田a火山灰(西暦915年)の直下にあり,放射性炭素年代測定によってその堆積年代が確認されたもの(赤色のマーク)は,現在の海岸線から約2 kmの地点まで確認できました.また,十和田a火山灰の下にあるものの放射性炭素年代によって確認していない砂層,層序的な対比によって貞観の津波堆積物と考えられるもの(オレンジ色のマーク)は,現在の海岸線から約3 kmの地点まで確認できました.貞観津波襲来当時の海岸線の位置は,現在の海岸線より1 km程度内陸に存在していたと推定されることから,少なくともオレンジ色のマークのところまで貞観の津波が浸水していたと考えると,当時の海岸線から1 km以上にわたり津波の浸水が遡上したと考えられます.
(後略)


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