【記事77140】木曽御岳(「大噴火が少なすぎる近年の日本」講演資料#10)(島村英紀2018年11月24日)
 
【島村】火山学者として言いたいことは、木曽御岳の噴火は戦後最大といっても、噴火としては小さいものだったということです。噴火の量というのは、実は対数目盛に表すのですが、とても小さいものからとても大きいものまであります。具体的にいうと、火山から吹き出したものは、火山灰であったり、火砕流だったり、溶岩だったり等々ありますが、、それらの総量を測る。東京ドームではかると、1/5〜1/3だった。噴火としてはそんなに大きいものではありません。被害が大きかった理由は、週末の土曜日だった、天気が非常に良かった、昼頃で、皆さんが山頂付近で弁当を広げていたころだった。そういった意味で、山頂付近に人が集まっているときに噴火が始まって、たくさんの人が犠牲になった。西日本にある3000m級の山だが、山の近くまで、道があり、たくさんの人が集まっていたのが不幸でした。ところが、1/5〜1/3とそんなに大きな量ではなかった。実は「大噴火」というのがありまして、それは東京ドーム250杯分、木曽御岳の噴火と二桁以上、大きいものです。
【補足】
・当講演レジュメの相当ヶ所を以下に抜粋する。
「2014年9月に起きた御嶽山の噴火は60人以上という戦後最多の犠牲者を生んでしまった。だが、噴火の規模からいえば日本で過去に起きた噴火に比べると、この噴火はマグマが出てきたわけではなく、ごく小さなものだった。
 御嶽山が噴出した火山灰や噴石の合計の容積は東京ドーム(容積は124万立方メートル)の1/3〜1/2ほどの量だった。
 ところで、19世紀までの日本では、各世紀に4〜6回の「大噴火」が起きていた。「大噴火」とは火山学で東京ドームの250杯分、3億立方メートル以上の火山灰や噴石や熔岩が出てきた噴火をいう。御嶽山の噴火よりもはるかに大きな噴火である。
 この「大噴火」は17世紀には4回、18世紀には6回、19世紀には4回あった。
 ところが20世紀になると「大噴火」は1913〜1914年の桜島の噴火と1929年の北海道・駒ケ岳の噴火の2回だけで、その後100年近くは「大噴火」は起きていない。」

※木曽御岳火山から噴出した総量の記述において、講演のスライドでは東京ドームの1/5〜1/3とありますが、レジュメでは1/3〜1/2と食い違いがあります。よって、編集部で以下のように調べてみました。その結果、講演のスライドの方(1/5〜1/3)がより正確な数値であるように思われます。
・東京大学地震研究所のHPの「2014年9月27日御嶽山の噴火」に「御嶽山2014年9月27日噴火の降灰分布および降灰量について」(火山噴火予知研究センター:前野深)がある。その文中に9月27日噴出量の概算値の見積もりの箇所がある。以下に抜粋する。
「9月27日噴火の噴出量の概算値を見積もったところ,60-110万トン(溶岩換算体積: 23-44万m3)であることがわかった」
 東京ドームの容積はレジュメに記述のある124万立方mと仮定する。各比率を計算すると、23/124=0.18、44/124=0.35 となり、講演のスライドの方の値(1/5〜1/3)にほぼ等しい値となった。
KEY_WORD:SHIMA_FUNKA_: