[2011_08_09_01]遺跡からの警告 地震考古学 第1部5 河川改修や低地居住で被害 「貞観」の教訓生かせず(東奥日報2011年8月9日)
 平安時代の貞観11(869)年、三陸を巨大地震が襲った。当時の史書「日本三代実録」によると、古代陸奥国の国府があった多賀城(宮城県多賀城市)で城郭や門が倒壊。大津波が川をさかのぼり、千人が溺死した。
 東北歴史博物館の柳沢和明上席主任研究員は「東日本大震災と似ている。多賀城は丘陵を囲むような構造。近くの砂押川が直線に改修されており、津波が真っすぐ押し寄せた。中心は高台で浸水を免れたが、低い城下に住む庶民や兵士、役人が巻き込まれた」と話す。今回も砂押川で津波の遡上(そじょう)が記録されている。
 「実録」の真偽は不明とされ、貞観津波はあまり知られていなかったが、1990年代から多賀城跡などでは海砂のような地層が発掘されていた。「確証がなく、報告書には津波と明記されなかった。あの時、もっと声を上げていれば…。地質、地震学者と連携が必要だった」と悔やむ。
 震災後は貞観津波のことを伝えようと講演や原稿執筆を引き受け、「大きな余震に気を付けて早めに避難を」と訴える。
 一方、産業技術総合研究所の宍倉正展海溝型地震履歴研究チーム長らは宮城県と福島県の約400カ所をボーリング調査。ジオスライサーという装置で地層を抜き取り、大半で貞観津波の堆積層を発見していた。
 「海砂や海棲(かいせい)生物の微化石を含む堆積層が当時の海岸線から3〜4キロ内陸まで広がっていた。津波はさらに1〜2キロ先に達したとみられ、東日本大震災とほぼ同規模」と宍倉チーム長。紀元前4世紀と紀元後5世紀、14〜16世紀ごろの堆積層も確認しており、450〜800年ごとに巨大地震が起き、大津波が発生した可能性が高い。
 研究成果は、この4月に政府の地震調査研究推進本部が評価を公表、防災対策の指針に盛り込まれるはずだった。宍倉チーム長らが関係自治体に説明に行こうとしていた矢先、震災が起きた。
 「地震は同じような場所で繰り返される。過去を知ることは、将来を予測する一番有効な手段。前の規模が分かれば『想定外』を減らせる。土地の歴史を知り、心構えをしてほしい」と話した。
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