[2016_10_27_05]津波犠牲 大川小に過失 遺族への14億賠償命令 仙台地裁 「学校側 襲来予見できた」(東奥日報2016年10月27日)
 東日本大震災時に学校で最大の津波被害を出した宮城県石巻市立大川小を巡り、死亡・行方不明になった児童74人のうち23人の遺族が市と県に計約23億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は26日、計約14億2600万円の支払いを市と県に命じた。学校側は津波襲来を予見できた上、助かった可能性が高い裏山を避難先に選ばなかった過失があると認定。全国の学校防災の在り方に大きな影響を与えそうだ。

 大川小は海岸から約4キロ離れ、津波の浸水想定区域の外だったが、高宮健二裁判長は判決理由で「津波到来7分前までに教員らは、・標高1・5メートル前後の校庭にとどまっていれば、児童の生命身体に具体的な危険か生じると予見できた」と判断した。学校の前を通った市の広報車が、津波の接近を伝え、高台避難を呼び掛けたのを教員が聞いたことを理由とした。
 遺族が主張した通り、裏山を避難場所とすることに支障はなかったとも指摘。「被災を回避できる可能性が高かった裏山に避難しなかった結果、津波に巻き込まれた」と、学校側の過失と死亡との因果関係を認めた。
 大川小より高い標高約7メートルの提防付近に向け移動したことについては「6〜10メートルもの津波が予見される中、避難場所として適していなかった」とした。周囲の津波の高さは約8・7メートルだった。
 判決後、原告団長の今野浩行さん(54)は「主張がおおむね認められほっとした」と話した。
 石巻市の亀山紘市長は記者会見し「市の主張が認められなかった結果を重く受け止めている。市には道義的責任がある」と述べた。控訴するか早い段階で決めるという。
 判決によると、2011年3月11日午後2時46分に震災の地震が発生。揺れが収まつた後、教員は児童を校庭に避難させた。遅くとも午後3時半ごろ、広報車の避難の呼び掛けを教員が把握。同35分ごろまでに、児童は約150メートル離れた堤防付近への移動を始めたが、同37分ごろ、辺り一帯を襲った津波で被災した。
 津波は約200メートル離れた北上川をさかのぼるなどして提防を越え、教職員10人も犠牲になった。
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