[2024_03_12_02]<社説>難航する廃炉/災害列島に原発立地は可能か(神戸新聞2024年3月12日)
 
参照元
<社説>難航する廃炉/災害列島に原発立地は可能か

 06:00
 東日本大震災の発生から11日で13年となった。地震や津波で被災した各地では、犠牲者を追悼する行事などが開かれた。甚大な被害を生んだ災害の教訓をしっかりと継承する。その決意を新たにしたい。
 震災では、津波などで東京電力福島第1原発が全電源を喪失した。その結果、原子炉内の核燃料が溶け落ち、建屋が水素爆発を起こして大量の放射性物質が放出された。
 放射能に汚染された福島県には約310平方キロの帰還困難区域が残る。今も西宮、宝塚、尼崎、伊丹、芦屋市を合わせた面積より広い範囲の立ち入りができない。同県の2万61000人余りが避難生活を余儀なくされている。事故による影響の深刻さを改めて直視しなければならない。

    ◇

 第1原発では2023年8月、敷地内にたまり続ける処理水の海洋放出を始めた。処理水は、溶け落ちた核燃料(デブリ)を冷やすために注入した水などから放射性物質を除去したものだ。ただし放射性物質トリチウムは残存する。政府と東電は「安全性に問題はない」として、風評被害を懸念する漁業者などの強い反対を押し切り、放出に踏み切った。
 東電は空いたタンクを解体し、廃炉作業に必要な敷地を確保する。だがこれは準備に過ぎない。最大の難関であるデブリの取り出しは、23年度内に始める予定が先送りされた。3回目の延期で、難航する廃炉の先行きは見通せない。

 ■遅れる燃料取り出し

 第1原発の1〜3号機には約880トンのデブリがあるとされる。東電はまず、2号機の原子炉側面からロボットアームを入れてデブリを取り出そうとしたが、大量の堆積物が妨げとなった。アームよりも細い伸縮式のパイプを使う方式に切り替え、最初は数グラムから始めるという。気の遠くなるような作業である。
 1、3号機はデブリが原子炉圧力容器の底を突き抜けている。作業現場の放射線量も高く、難易度がさらに高いとされる。2号機とは別の工法が要る。1、2号機には計約千体の使用済み燃料が残る。この取り出しも最大で10年ほど遅れている。廃炉の難しさを痛感させられる。
 こうした難題を抱えながらも、東電は41〜51年としてきた廃炉の完了目標を「見直す必要はない」としている。本当に計画通りに廃炉できるのか。政府と東電は国民の疑問と不安に応える責務がある。

 ■能登地震が示す課題

 元日に起きた能登半島地震では、北陸電力志賀(しか)原発も被災した。安全機能は維持できたものの、避難ルートに定めた道路の半分以上が寸断されるなど課題も浮き彫りになった。
 原発事故を想定し、周辺自治体は避難計画を策定している。能登では避難道路で崩落や亀裂が起き、原発の30キロ圏内で複数の集落が孤立状態となった。半島など避難が難しい地域にある原発は多い。豪雪などで避難が妨げられる恐れもある。
 一時避難のために病院や学校などに設けている放射線防護施設も、能登地震では6施設で使用不能になるなどした。政府と自治体は避難計画通りに進まない事態も想定し、代替策を練っておくべきだ。
 能登半島ではかつて関西、中部、北陸の3電力会社が珠洲(すず)原発の建設を計画していた。電力需要の低迷などを理由に2003年に断念した。住民の反対運動もあった。候補地の一つは今回の地震の震源に近く、原発が稼働していれば、事故が起きなかったとは言い切れない。
 福島の事故後、原発への依存度を「可能な限り低減する」としてきた方針を、岸田政権は「最大限活用」に転換した。国内の原発は全て海岸部にあり、専門家は沿岸海域の活断層を調べる難しさを指摘している。能登地震でも活断層が想定より広い範囲で動いたとみられ、沿岸海域での想定の見直しは急務である。
 そもそも「災害列島」の日本に原発を安全に立地させることは可能なのか。東日本大震災や能登地震などの教訓を踏まえ、政府は根本的な問いに真摯(しんし)に向き合う必要がある。
KEY_WORD:能登2024-30キロ圏内-約400人-8日間孤立_:FUKU1_:HIGASHINIHON_:NOTOHANTO-2024_:汚染水_: