[2018_11_23_04]伊方3号炉再稼働から2週間。原発のある町の「日常としての抗議活動」(ハーバー・ビジネス・オンライン2018年11月23日)
 
参照元
伊方3号炉再稼働から2週間。原発のある町の「日常としての抗議活動」

 10月27日から1年ぶりに再稼働した伊方発電所3号炉。その当日に行われた抗議集会の様子は以前報じた通りです。(参照:伊方発電所3号炉、抗議活動をよそに再稼働。再稼働当日の現場をリポート)
 そんな伊方発電所ですが、同発電所正門ゲート前では、地元の方を中心に福島核災害以来、毎月11日に欠かさず抗議集会が開かれています。そして毎年一回、伊方集会を行い、今年は第32回となりました。
 伊方3号炉再稼働から間もない去る11月11日、伊方発電所ゲート前集会と伊方集会が併催されましたので、私は当日朝7時に高知を出発して取材に向かいました。

◆党派性薄い手作りの集会だからこそPA担当が恐れる

 朝10時から、伊方発電所正面ゲート前の県道に地元、四国四県、四国島外から60人の市民が集まり、抗議の座り込みが始まりました。おおむね5割が愛媛県民、四国四県で9割程度という主催者の説明でしたが、私は四国島外からの参加者は10人強居たように感じています。今回は、10月27日再稼働抗議集会で多くの方が集まった直後であるために、集会の規模は小さめでした。
 伊方発電所正門前集会は、地元の方の割合が高く、ついで四国四県と大分県、追って中国からの参加者が多いのですが、福島核災害の経験からも中四国東九州は過酷事故時に甚大な影響を受けますので、参加者の分布とよく一致していると思われます。
 沖合では第六管区海上保安部のPM96くろかみが警備をしています。民生用のたかだか900MWe級の発電施設を海上保安庁が警備せねばならないという点で、石炭火力や天然ガス火力と根本的に異なるカネ食い虫であることを露呈しています。今回は、抗議船が伊方発電所沖に出没するという話はありませんでした。
 核拡散防止と並んで核物質防護(核防)上、原子力・核施設の警備が年々厳重化せねばならないのは世界共通で、バックエンド・デコミッションを含めた原子力発電のコスト急上昇の一因となっています。合衆国の場合は、事業者が警察などによる武装警備費用も直接支払い、日本の場合は国や自治体の支払いとなる傾向が強いです。
 さて、抗議集会では参加者の発言が続きますが、伊方発電所正門前抗議集会では、四国電力社長への要請書(※2018伊方集会抗議文)の手交がありました。実際に四国電力社長の代理として伊方発電所の管理職が集会まで出向き、文面の受け渡しを行うもので、これは伊方に特徴的なことではないでしょうか。私が伊方集会の取材を始めたのは2015年の夏ですが、当時は毎月行われており、とても驚いた記憶があります。
 そうこうしているうちに、時間は正午近くなり、午前の部を終えないとアルソックの人が戻れません、いや、午後の報告会に移れません。
 時間がないので、牧田さんにマイクは回しませんよとのことでしたが、私はNikon 2号のバッテリがGPSの設定ミスで干上がってしまい、超広角レンズをつけたNikon1号だけで撮影するのに四苦八苦しており、それどころではありませんでした。
 伊方正門前集会は、党派性が極めて希薄で、様々な市民が手作りで集っているという特徴があり、1980年代90年代に電力、国のPA担当者が非常に対応に苦しみ、その実態は80年代から00年代にかけての原子力PA文献に残っていますが、これは実際にその場を目にしないとなかなかわからないと思います。私も原子力PAの文献を読めば読むほどに混乱しましたが、実際に現場に足を運び、当事者に話を聞くことによって、なぜ、原子力PA担当者が80年代90年代当時、伊方反対運動を前に大いに狼狽えたのかやっとわかってきました。
 それにしても、あの日、あのとき、私が博士号を取得する直前、もんじゅが燃えて、動燃事業団(PNC)が自爆していなければ、私は正反対の側からの風景を見ていた筈で、毎回伊方では感慨深いものがあります。

◆根強く残る地元住民による四電への不信感

 午後1時から八幡浜市の江戸岡公民館で活動報告・意見交換会が開催されました。こちらは、参加者が30人となり、やはり8割強が愛媛、四国三県の方でした。
 報告では、差し止め訴訟の薦田伸夫弁護士からの報告、各地での活動状況について、運動を進める上での悩み事も含めて活発な意見交換がなされましたが、やはり私の目を引いたのは、伊方発電所核燃料乾式貯蔵施設建設問題でした。このことについては当日の配布資料がPDFで公開されています。
 伊方発電所は、使用済み核燃料ピット(SFP:BWRの場合は、使用済み核燃料プール。BWRとPWRでは微妙に用語が異なる。)の容量枯渇が危急の課題となっており、発電所敷地内に寿命60年の使用済み核燃料乾式貯蔵施設の建設を愛媛県に申し入れています。
 乾式貯蔵は、SFPに比して固有安全性が遥かに高く、安価であるために合衆国では完全に実用化していますが、日本では東海第二と福島第一、福島第二で試験運用中のみのため、伊方で初の本運用を行おうということです。
 地元では、出力調整実験やMOX装荷に続けてまたしても伊方で最初(MOXは2番目)に始めようとすることへの反発と、伊方がなし崩しで使用済み核燃料の恒久的保管場所になる恐れ、伊方3号炉運転の恒久化などを承知できないとして、反対運動が始まっています。
 かつて伊方3号炉建設に当たり、伊方町との協定で伊方には原子炉2基のみとしてきたものを四電が「所詮は紳士協定だ」として一方的に破棄し、3号炉建設を強行した経緯から、地元市民の四電への不信は根強いものがあり、少なくとも四電は紳士ではないという認識は共有されているようです。
 したがって、例えば60年後の県外撤去、60年間開封しないと言った協定を結ぶという選択肢は四国電力が協定を遵守すると考えられないという不信が立ちはだかり、かなり難しいようです。かつて不誠実なことを行った企業は、たとえ電力会社であってもその事実が足かせになるということでしょう。とても残念なことです。
 議論の中で、武井たか子県議より四電との折衝中に四電側から「直接処分という選択肢もありますから」という発言があったという報告があり、電力がすでに破綻した核燃料サイクルからの脱却(軟着陸)を模索している兆候が見出されました。福島核災害前なら、電力、経産ともに口が裂けても言わないような発言であり、私は大変に驚きました。安倍政権は、すでに日本原燃の処理スキーム(電力への債務の市民への付け回し)を完成させつつあるという指摘も数年前から出てきており、いよいよ常敗無勝国策の典型である核燃料サイクル政策の終焉がちらちらと見えてきた感があります。石炭政策が典型例ですが、経産省はある日突然に掌を返して逃げ出すことがたいへんに得意です。
 また、2016年7月から8月の伊方発電所周辺に異常な過剰警備について、その法的裏付けについて愛媛県警を問い詰めているという報告があり、県警は追い詰められ、回答に四苦八苦しているとのことでした。最近、伊方発電所正面ゲート前抗議集会の際に愛媛県警が姿を消している一因ではないかと私は感じました。
 その他、上関発電所問題や、新電力契約運動、高知県でNUMOの活動が活発化していることなど様々な報告と議論があり、あっというまに予定の16時に近づきました。
 結局、16時前にはすべての次第を終えて、閉会となりました。
 私にとっては、乾式暫定貯蔵に対する考え方が私と大きく異なることにたいへんに驚きましたが、私の気が付かなかった視点を多く得ることができ実りは多かったと思います。
 サイクル・バックエンド問題の先送りはすでに限界に達しており、いよいよツケ払いのときが迫っていると実感します。時間と、懸案事項を甘く見てきたことが悔やまれます。
 そのような思いを胸に、私は宇和の肱川上流を経て、野村、鹿野川へと向かい、この日は大洲で泊まりました。会場を退出する際に、恒例の袋いっぱい愛媛みかん(八幡浜でなぜか今治みかん)をもらって帰り、この原稿執筆時も美味しいみかんを食べています。

『コロラド博士の「私はこの分野は専門外なのですが」』シリーズ2原発編-6-

<取材・文・撮影/牧田寛 Twitter ID:@BB45_Colorado 写真/瀬戸の風(一部)>

まきた ひろし●著述家・工学博士。徳島大学助手を経て高知工科大学助教、元コロラド大学コロラドスプリングス校客員教授。勤務先大学との関係が著しく悪化し心身を痛めた後解雇。1年半の沈黙の後著述家として再起。本来の専門は、分子反応論、錯体化学、鉱物化学、ワイドギャップ半導体だが、原子力及び核、軍事については、独自に調査・取材を進めてきた。原発問題についてのメルマガを近日配信開始予定

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