[2023_06_14_07]高速実験炉「常陽」運転再開の意味 着工から半世紀以上、稼働から40年超の老朽高速炉 無理矢理再稼働させるのは核武装の能力維持のため 渡辺寿子(元開発に反対する会)(たんぽぽ2023年6月14日)
 
参照元
高速実験炉「常陽」運転再開の意味 着工から半世紀以上、稼働から40年超の老朽高速炉 無理矢理再稼働させるのは核武装の能力維持のため 渡辺寿子(元開発に反対する会)

 
◎ 5月24日原子力規制委は高速実験炉「常陽」の事故対策が新規制基準に適合するとする「審査書案」を了承。意見公募などを経て正式決定することになりました。
「常陽」は、戦後、原子力研究所(原研)の共産党系の研究者たちが「日本に人民政府ができたら核武装するために」濃縮度98%以上の軍用プルトニウムを生産できる高速炉の設計を企画し、完成させたことが発端です。
 日本政府は原研の計画の完成を待って、その開発を動力炉・核燃料開発事業団(動燃)に移しました。
 動燃は1970年に着工し、1977年から稼働開始しました。「常陽」は軍用プルトニウムの生産炉なので発電を目的にせず、発生する熱は大気中に捨てます。

◎ 「常陽」は最高級の軍用プルトニウムを生産した。
 「常陽」は1977年から1983年の性能試験運転期間に濃縮度99.2%という最高級の軍用プルトニウムを19.2kg生産しました。
 日本の核武装に強く反対していたアメリカのカーター大統領によって、軍用プルトニウムを生産できるブランケットは取り外させられて、以後「常陽」は高速中性子による照射実験として使用されてきました。

◎ 2017年の事故で「死に体」となっていた「常陽」

「常陽」は2007年5月定期検査で実験装置の引き抜きに失敗し、部品のピン6本を原子炉内に落としてしまいました。「常陽」の炉心は「もんじゅ」と同じくナトリウムで満たされ光を通さないので回収できません。これを放置したまま再稼働するのは大変危険です。もはや「常陽」の廃炉は決定的であると思われていました。

 しかし事故から9年後の2016年10月に行われた核燃サイクルについての議員と市民の院内集会で事故の後始末について質したところ、文科省の担当者は「6本のピンすべては回収できていない。すべてを回収できなくても稼働に影響はない」と驚くべき答えをしました。
 実際2016年1月に再稼働の申請をしています。また2019年6月付の国のエネルギー白書には「常陽」の再開を目指すとの文言が明記されています。

 核燃サイクルの中核だった「もんじゅ」が2016年に廃炉が決定し、核燃サイクルは完全に破綻しました。ちなみに「もんじゅ」は1995年12月ナトリウム火災事故を起こすまでの1年半で濃縮度99.8%の超高純度軍用プルトニウムを17kg生産しました。事故が起きなければ年間約62kgも生産する予定でした。 

◎ オンボロ老朽高速炉の再開は核武装能力の維持の執念

 「死に体」だったオンボロ高速炉の再開決定は、核武装に直結する施設をどうしても維持したいとの強い意志が感じられます。(高速炉の使用済み燃料からプルトニウムを取り出すための施設リサイクル機器試験施設RETFも現在建物の中は空っぽですが、将来復活させる意図を持って温存しています)
 日本政府は核武装する能力を維持するつもりです。それ故核兵器禁止条約に署名することはできないのです。
 「常陽」再開はそのことをはっきり示しています。
KEY_WORD:JYOUYOU_:MONJU_:高速炉_日米協力_:廃炉_: