[2020_09_04_08]中間貯蔵「合格」 むつ−現状と課題(2) 誘致 財政難打開の切り札 交付金、寄付を見込む(東奥日報2020年9月4日)
 
 「掘削開始」ー。2010年8月31日、むつ市関根地区にある使用済み核燃料中間貯蔵施設の建設現場。リサイクル燃料貯蔵(RFS)の久保誠社長(当時)の掛け声で、重機が音を立てて動き始めた。着工の瞬間を、RFSや親会社の関係者らが見守った。
 当時、同市の施設は、原発敷地外に建設される国内初の中間貯蔵施設として大きな注目を集めた。
 全国では50基を超える原発が稼働し、1年で千トン近くの使用済み核燃料が発生していた。年間最大800トンの燃料を処理できる日本原燃・六ヶ所再処理工場が動いても、使い切れない燃料が残る計算だ。長期の稼働により、原発内のプールの容量が逼迫し、停止に追い込まれかねない発電所も出てきていた。
 「他社もいずれ中間貯蔵の必要性が出てくる。先鞭をつけることができ、誇りに思う」。久保氏は起工式後の会見で胸を張った。
 その十数年前。同市への中間貯蔵施設誘致に動いたのが、杉山粛・元市長(故人)だった。
 下北の中核都市でもある同市は長く、財政難に苦しんでいた。杉山市政も、財源の幕付けのないカラ財源を数年問にわたって計上するなど厳しい財政運営を強いられた。「使える補助制度がないか、自ら上京してよく情報収集していた」。杉山氏と懇意にしていた政治関係者は懐かしそうに語る。
 そんな中、中間貯蔵施設の話が浮上した。原発敷地外での燃料貯蔵を可能とする法改正がなされたのが00年だったが、杉山氏はそれ以前から、東京電力に誘致を打診していたとされる。「原発のように核分裂がなく安全だ。原発並みの交付金も入る」。周囲にこう力説していたという。
 交付金以外にも見込んでいたものがあった。電力会社からの寄付金だ。実際、市役所本庁舎の移転事業では、東電、日本原子刀発電から15億円の寄付を受けた。
 杉山氏の念頭には、東電が福島県に寄贈した総工費130億円のサッカー施設「Jヴィレッジ」があったとされる。先進的な放射線医療施設を整備し下北以外からも患者も呼び込む一。杉山氏は、多額の寄付金を基にした地域振興策を思い描いていた。だが、07年5月に急逝。正式な書類などは残されず、構想はいつしか、うやむやになった。
 杉山氏と親しかった市内の70代経済関係者は「ちょうど東電側と要望を詰め、仕上げの交渉に入る前後に亡くなった。生きていれば実現した地域振興もあったかもしれない」と語りつつ、こう続けた。「結局、福島第1原発事故で駄目になったんだろうけどね…」
 事故を境に、原子力事業に向けられる視線は一層厳しくなった。電力会社からの寄付も難しくなったが、一方で、当初見込んでいた交付金は着実に入り続けている。市によると、01〜19年度の19年間で、中間貯蔵施設に関わる交付金は計約178億円に上る。
 同市の歴史には原子力船「むつ」を巡る混迷も刻まれている。今年はくしくも、「むつ」が最初の母港となった大湊に初入港して半世紀の節目。1972年には船に核燃料が装荷され、本県における原子力の歴史が幕を開けた。「むつ」の使用済み燃料を保管していた「実績」もあり、これが施設誘致の下地になったーとみる人もいる。

 中間貯蔵施設とむつ市の主な経路

2000年11月 むつ市が東京電力に立地可能性調査を依頼
03年4月   東電が市に事業構想提出
  6月   市長が誘致表明
04年2月   東電が県、市に立地協力を要請
05年3月   むつ市、川内町、大畑町、脇野沢村が合併、新市が誕生
 10月   県が関係閣僚などに核燃料サイクル政策推進、使用済み核燃料の確実な搬出などを確認・要請。
      県、市、東電、日本原子力発電が協定締結
 11月   2社がリサイクル燃料貯蔵(RFS)設立
09年2月   地元6漁協、東電、原電が市長立ち会いのもと、運搬船の航路設定に関する協定を締結
10年5月   経済産業省がRFSに事業を許可
  8月   中間貯蔵施設が着工
11年3月   東日本大震災、東電福島策1原発事故
14年1月   RFSが新規制基準の適合性審査申請
20年2月   安全審査の議論が終結
  3月   市の「使用済燃料税条例」成立
9月2日   原子力規制委員長が「審査書案」了承
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