[2021_03_19_04]脱原発官邸前デモ、9年で果たした役割 26日休止(西日本新聞2021年3月19日)
 
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脱原発官邸前デモ、9年で果たした役割 26日休止

 東京・永田町の首相官邸前で、福島第1原発事故翌年の2012年から毎週金曜夜に脱原発を訴えてきたデモが3月末、休止する。会員制交流サイト(SNS)で誘い合う個人参加型の新しい市民運動として注目された。主催する市民グループ「首都圏反原発連合」によると、初期には最大約20万人が声を上げたが、近年は参加者が減少。「脱原発の世論が根付き、一定の役割を終えた」と判断したという。(湯之前八州)
 10年目の「3・11」翌日の3月12日金曜、午後6時半。通算398回目となるデモが始まった。
 「全ての原発、今すぐ廃炉」「再稼働反対」。太鼓に合わせ男性が声を上げ、約50人が唱和を繰り返す。約1時間、参加者はのぼりを突き上げたり、スピーチしたり、それぞれ思いを表現した。都内の女性(71)は「庶民が政治の中心に直接訴える貴重な場だった」と休止を惜しんだ。
 デモは12年3月、関西電力大飯原発(福井県)の再稼働に抗議する数百人でスタートした。
 政党や労働組合など組織が参加者を動員して練り歩く従来型とは異なり、楽器を鳴らしてリズミカルに訴えるロックコンサートに似たスタイル。デモの中継動画がSNSで拡散された結果、一時期は参加者が歩道から道路にあふれ、12年8月には中心メンバーが当時の民主党政権の野田佳彦首相と面会を果たした。
 共感の波は全国に広がり、福岡市中央区の九州電力本店前では今も、10人ほどがアピールを続ける。メンバーの一人、井手一徳さん(75)は「体が持つ限り、原発反対の民意を九電に届ける」と意気軒高だ。
 だが、官邸前デモの熱気は徐々に冷めていった。この数年は特に若者の姿が激減し、昨春以降は新型コロナウイルス禍で長期間の休止や人数制限を余儀なくされた。
 同連合のミサオ・レッドウルフさんは、政府が原発の再稼働を容易に進められていない現実を踏まえ「デモが実現した成果は大きかった」と受け止める。「政治に物申す必要があれば、またいつでも集まる。だから『終了』ではなく『休止』とした」
 残る金曜は、19日と26日の2回。400回目が文字通りの節目となる。
 官邸前デモが社会に刻んできたものとは−。上智大の中野晃一教授(政治学)は「多くの市民が主体的に動いた点で、政府に検察官の定年延長をいったん諦めさせ、『Go To キャンペーン』を中断に追い込んだ、昨年の『ツイッターデモ』の先駆けになった」と話す。「議会制民主主義を補完する手段として、日本にデモを根付かせた功績は大きい」と分析した。
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