[2009_06_01_01]何ら問題解決されずに運転再開 地震被災の新潟・柏崎刈羽原発7号機 耐震安全性など県民の不安は払拭されず 報告=原発反対刈羽村を守る会 武本和幸さん 異常に大きな基準地震動 再開前に解明すべき問題点 専門家の権威で「安全」宣言 中央と地方の関係に変化 広がる原発不信の県民世論 内部から寄せられた悲鳴 運転再開とトラブル継続(社会新報2009年6月1日)
 
 新潟県中越沖地震で被災し停止していた東京電力・柏崎刈羽原発7号機が5月9日、1年10カ月ぶりに運転を再開した。地質や地盤の適性、損傷した施設の健全性・耐震安全性など何ら問題解明がなされないままの運転再開と、相次ぐ火災発生に、地元では原発不信が高まっている。運転再開の問題点について地元で原発問題に取り組んできた「原発反対刈羽村を守る会」の武本和幸さんに報告してもらった。

 異常に大きな基準地震動

 世界最大の原発集中立地(7基合計821.2万キロワット)の柏崎刈羽原発を、中越沖地震(マグニチュード6.8)が襲ったのは2007年7月16日。原発直下の震源断層が逆断層として動き、原発設置許可で想定された揺れ(設計基準地震動)を大きく超える揺れが観測された。耐震バックチェックに基づく各原発の基準地震動Ssと設置許可時の限界地震の揺れS2を比べると、柏崎刈羽の異常な大きさと、他原発のSsがほぼ横並びであることが明らかだ(図参照)。このことから柏崎刈羽が原発立地に不適であることと、各地の原発の基準地震動Ssは過小評価されているのではないかと考えられる。

 再開発前に解明すベき問題点

 柏崎刈羽の反対運動は計画当初から、油田地域で活褶曲(しゅうきょく)地帯であるこの地では原発立地は不可能であると主張し続けてきた。その主張の正しさは中越沖地震で証明されたと考えるが、7基に2兆5000億円余の工事費を投じた東京電力は「廃炉」にせよとの訴えには全く耳を貸さず、運転再開を画策してきた。そして、一番損傷が小さかったといわれる7号機の調査点検を優先し、国と県のお墨付きを得て9日、試運転を開始した。

 中越沖地震で判明し、未解明の重要事項は次の3点だ。

 @隆起沈降続く地殻構造
 中越沖地震で柏崎刈羽原発の原子炉建屋・タービン建屋の四隅が60〜??ミリメートル隆起。地震後半年ごとの測量でも隆起沈降を続けている。強硬な岩盤立地を前提とした原子炉やタービンが地震で不同隆起し、地震後もふらふらと揺れ動いている。これらの事実は中越沖地震と地震後の観測で初めて明らかになった。東電は「隆起沈降による建屋の傾きは許容範囲で問題ない」としている。

 A想定地震は過小評価
 柏崎刈羽では敷地西方沖合の海底活断層の地震(M7.0)と東方の長岡平野西縁断層帯の地震(M8.0)を想定したが、海底活断層を過小評価した。これに対し、地形学者や地震学者は、認定の北部にも南部同様の海底地形が続きM7.5の地震の想定が必要だと指摘。規定地震が変われぼ基準地震動が大きくなり、現在想定している2300ガルや1209ガルでは不十分となる。

 Bインタ−ナルポンプの評価
 7号機と同様の改良沸騰水型原発(ABWR)は再循環ポンプを内蔵型にしているが、このインターナルポンプが地震に弱いことが明らかになった。ABWR原発の原子炉下部には10基のインタ−ナルポンプが設置されている。地震で、ポンプが抜け落ちると、風呂の底の栓が抜けたように一気に炉水が抜けて、冷却材喪失事故となる可能性がある。

 専門家の権威で「安全」宣言

 原子力安全・保安院は2月13日、原子力安全委員会は同18日にそれぞれ「柏崎刈羽7号機は安全」と判断した。判断根拠は、保安院や安全委員会が専門家で組織した委員会が「安全である」と答申したため。保安院や安全委員会の組織する委員会の委員は、電力業界に関係する者が多い。原発関係者はそれが当然と考えているが、多くの住民は電力会社や国にこびる専門家がいくら安全を主張しても信じない。

 中央と地方の関係に変化

 地震後、県の原発行政に変化が生まれている。新潟県原子力技術委員全に「地震、地質・地盤」と「設備健全性、耐震安全性」の2つの小委員会が設けられた。イエスマンだけの国の委員会と異なり、小委員会では7号機の運転再開をめぐり活発な議論が展開され、「推進」と「慎重」の両論併記となったが、技術委員会は「運転再開に問題なし」の報告をまとめた。運転再開を認めた5月7日の県議会全員協議会で県知事は、「エネルギー供給体制が、化石燃料や原子力に頼らなくても可能になるまでは、日本の、ひいては、世界の原子力発電所の安全性を高めていくため、安全性について懐疑的な立場から積極的に原子力発電所にかかわり続けていく方が望ましい」と、以前と異なる発言をした。運転再開が2月の国の安全宣言から5月まで延びた事実が、地方を無視して国や電力会社だけで原発は運転できない時代になったことを示す。

 広がる原発不信の県民世論

 中越沖地震の被害は柏崎刈羽原発を中心にして発生した。原発の近傍では全壊や大規模半壊、半壊の住宅が多数ある。被災者の多くは以常にも増して原発不信を強めている。県民も地震直後に観光客が激減した事実を忘れていない。運転再開が日程にあがった09年1月以降、新聞の投書欄には原発の運転再開を危ぐする投書が繰り返し掲載され、いつまでも原発に依存できないとの声も広がっている。

 内部から寄せられた悲鳴

 7号機起動の動きが具体化した際に、旧知の原発関係者から電話があった。東電が進める「慎重な安全確認」の実態に対する悲鳴であった。趣旨は、同原発では火災が頻発し労災も続発している。火災や労災の際に、保安院や県は原因究明と対策を求め、東電は「原因と再発防止策」を発表し、保安院がそれを了承する、ことを繰り返してきた。東電は、役所向けに「原因と再発防止策」を発表するが、それはしらじらしい作文だ。日程にあがった運転再開にブレーキとなる火災か労災の原因を起こした孫請け業者が発注元から受任追及され、自ら命を絶った深刻な事例も起きている。原発反対運動に作業環境の改善を求めるわけではないが、作業員の実態を知ってほしいとの深刻な内容だった。「発注した作業が、東電の都合で中断して作業予定が立たない」との悲鳴も寄せられている。

 運転再開とトラブル継続

 7号機の制御棒引き抜きは5月9日から始まった。その後、原子炉隔離時冷却系の弁の不調や圧力抑制室の水面上昇等のトラブルが続発している。当初同15日に予定された送電も、給水ポンプ弁の開度を誤表示していることが判明し中断した。「入念な点検をした。安全第一に運転する」との前宣伝を、運転開始直後からのトラブル続きで自壊した。
 原発近傍では繰り返し地震が起こっている。東北電力・女川原発(03年5月26日と05年8月16日の2回)、北陸電力志賀原発(07年3月25日)、そして中越沖地震。幸い大量の放射能漏れの深刻な事態には至らなかったが設備は深刻なダメージを被った。地震と火山の日本列島に住む私たちへの自然の警鐘であると考える。
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