【記事46350】伊方原発3号炉は作らないという協定書あり(1976年) 四国電力はそれを破った。ウソつきの電力会社だ 3号炉建設を巡っては莫大な金が飛び交った 秦左子・愛媛県(たんぽぽ舎メルマガ2016年8月24日)
 
参照元
伊方原発3号炉は作らないという協定書あり(1976年) 四国電力はそれを破った。ウソつきの電力会社だ 3号炉建設を巡っては莫大な金が飛び交った 秦左子・愛媛県

《四国電力の嘘》

 四国電力は伊方原発1号炉2号炉の建設に伴い、1976年に愛媛県と伊方町の三者で安全協定を締結した。そこには「原子炉数は2基(1基の電気出力は56万KW級のもの)を限度とするものとする」と明記されている。
 4年後の1980年に四国電力は伊方町と愛媛県に「原発増設のお願い」を持参し、その11日後には「伊方町の皆様」というチラシを全戸配布した。そのどちらの文書にも、三者で2年半も掛けて作成した安全協定書については全く触れてはいなかった。
 住民は激しく抵抗をしたが「安全協定に法的拘束力はない」として伊方町も愛媛県も増設を認め、1985年に「3基を限度とする」という新たな安全協定書を結んだ。当然のように電気出力は明記されてはいない(3号炉は89万KW)。「2基限度」を三者で無視して何の歯止めにもならなかった安全協定をなぜ今更…である。
 この3号炉建設を巡っては莫大な金が飛び交った。伊方町の政財界関係者70人ほどの会合の席上で山口四国電力相談役が福田町長を指して「田舎の町長は金をたかるばかりだ」と言い放った話を報道で見たときは、金をばらまく四国電力と金をせびる自治体や政治家に、原子力発電の正体を見た思いだった。
 この2基を限度とした安全協定とは何だったのか。反原発を貫きローカル新聞を発行し続けた斉間満氏は「1、2号炉の誘致で沸騰した住民感情を沈静化させ、県や町は3号炉増設時に有利な条件を得るためのものであり、国や電力は建設用地が選定出来なかった場合の隠れ蓑だった」と語っていた。

KEY_WORD:IKATA_:_