[2014_09_12_04]汚染水 当初から懸念 吉田氏「海洋放出しかない」(東奥日報2014年9月12日)
 
[テキスト文]
 東京電力福島第1原発の廃炉作業で大きな障壁になっている汚染水の問題。政府事故調の聴取結果書(調書)からは吉田益郎元所長が事故後の早い段階から汚染水問題に強い懸念を示していたことがうかがえる。
 汚染水問題が表面化したのは2011年3月24日。3号機タービン建屋地下でケーブル敷設作業をしていた作業員が、高濃度の放射性物質を含む水たまりで被ばくしたことがきっかけだった。
 調書によると、吉田氏は3月24日より以前から、原子炉に注入している水がいずれ漏れ出てくると考えていた。「高濃度汚染水の存在を知った時は『(やはり)来た』と思った」「それが流出する恐れをずっと抱いていた」と証言している。
 吉田氏の懸念は現実となる。4月2日に2号機タービン建屋海側のピット(作業用の穴)から極めて高濃度の汚染水が海に流出していることが判明、大問題となった。
 東電は高濃度汚染水の保管場所を確保するため、廃棄物処理建屋にたまっていた比較的低濃度の汚染水と5、6号機の建屋付近にたまった汚染された地下水の計約1万トンを4月4日から数日間かけて海へ放出した。低濃度といっても法律で認められる濃度基準の最大約500倍で、国際的な批判を浴びた。
 吉田氏は放出について「4月初めの時点では汚染水を移送するためのタンクなどはなかった。プラントを守るためには(汚染)レベル的にみて海洋放出するしかないだろうと考えていた」と聴取に答えている。
 海洋放出については、細野豪志元首相補佐官が地震の調書の中で、当初は放出を認めない意向だったものの状況の悪化を踏まえて4月3日に判断を変えた経緯を明らかにしている。
 細野氏は「濃い水(高濃度汚染水)が出ているのが分かり、どこかに移すために薄い水(の放出)はやむを得なかった。実質的に4日の海洋放出は私の判断だ」と証言している。
KEY_WORD:政府事故調:FUKU1_:吉田昌郎:細野豪志首相補佐官:S_JIKOCHO_: