[2021_03_21_05]避難の車で各地渋滞、多くの住民が高台へ(河北新報2021年3月21日)
 
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避難の車で各地渋滞、多くの住民が高台へ

2021/03/21 06:00 2021年03月21日 06:00
 宮城県で最大震度5強を観測した20日夜の地震では、東日本大震災から10年が過ぎた沿岸被災地が再び緊迫した雰囲気に包まれた。同県で2016年11月22日以来の津波注意報が発表され、一部の自治体は避難指示を出した。津波は観測されなかったものの、東北は2月にも震度6強の地震があったばかり。多くの住民が高台やビルに身を寄せ、内陸に向かう車の渋滞も各地で発生した。
 「大きな津波が来るかと思い、ひやりとした」。石巻市の高台にある日和山公園に車で逃げた会社役員男性(58)は、津波注意報が解除されて胸をなで下ろした。「避難は重要。震災を忘れないようにしなければ」と自らに言い聞かせた。
 公園には震災時と同様、大勢の市民が車や徒歩で集まった。携帯電話で家族の安否を確認したり、車中で状況を見守ったりした。
 登米市の高校2年今井優さん(17)はJR石巻駅前で揺れに遭い、友人とタクシーで逃げた。最近、大きな地震が続くことに「不安になる」と話した。
 仙台港に近い仙台市宮城野区の中野栄小。近隣の大型商業施設の従業員や住民ら約300人が逃げ込んだ。30代主婦は「自宅で突き上げるような揺れを感じた。慌てて5歳の長男を抱えて廊下に出た」と声を震わせた。
 地震発生が休日夜の早い時間だったこともあり、車避難が目立った。
 震災時に多くの車が津波にのまれた多賀城市では、反省を生かして1月に緊急避難路・物流路として開通した「清水沢多賀城線」に幹線道路から流れ込んできた車の列ができた。
 徒歩で内陸を目指す人もおり、多賀城市の塩釜高3年内海翔太さん(18)は「震災時にここまで津波が来たと知っていたので走って逃げた」と説明した。
 岩沼市でも道路が混雑した。震災被災者らが集団移転した玉浦西の町内会役員小林達夫さん(55)は「車で内陸に向かった人がいたが、大渋滞だったそうだ。車避難の在り方を考えないといけない」と困惑した表情で語った。
 復興まちづくりが進んだ沿岸部は高台移転や土地のかさ上げ、防潮堤整備で津波に対する「防御力」は上がっているとはいえ、危機感は強い。
 名取市閖上では、閖上小中学校4階に約80人が避難した。近くの学校技師鈴木浩幸さん(59)はラジオなど非常用持ち出し品入りバッグを持ち、家族と非常階段を使っていったん屋上まで逃げた。
 震災の津波で自宅が全壊した経験から「津波の予想高さが1メートルを超えた場合は避難すると決めていた。津波がなくて良かったが、これで終わりではない」と気を引き締めた。
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