【記事09000】貞観津波 唯一の記述(869年(貞観11年)7月 『日本三代実録』保立道久訳869年7月13日)
 
参照元
※引用者注:以下の図は参照元(原発と大津波_警告を葬った人々_もっかい事故調_オープンセミナー_添田孝史)の18ページ目の抜粋である。図の一部をテキスト化したものを図の下に示した。
 
 そして激しい波と高潮がやってきてさかのぼり、また?漲り進んで、たちまち多賀城の直下まで到来した。海を離れること数十百里の距離まで冠水した様子は、広々としてその果てを区別することができない。原野や道路はすべて青海原のようになってしまった。船に乗る余裕もなく、山に登る時間もなく、その中で、溺死するものが千余人にも及んだ。
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