[2020_08_03_01]【福島から伝えたい】コロナ禍の震災10年目 あの「問題の水」は海に放出するのか?(福島中央テレビ2020年8月3日)
 
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【福島から伝えたい】コロナ禍の震災10年目 あの「問題の水」は海に放出するのか?

 2年前の2018年。福島中央テレビは東京電力福島第一原発の構内で、国内メディアで初めて“ある水”を撮影した。見た目は透明で臭いは全くない。「トリチウム水」と呼ばれるこの水は多くの人にとっては聞き馴染みがなく、関心がないかもしれない。しかし、この水を巡り日本は世界に波紋を広げかねない事態に直面している。今回は、連日の新型コロナウイルス関連ニュースに埋もれてしまっているトリチウム水の課題を掘り下げる。そして、トリチウム水と新型コロナウイルスに共通する私たちの「恐怖」との向き合い方について考えたい。

■敷地を埋め尽くす120万トン

 福島第一原発を空から見ると、敷地を埋め尽くすほどに並んでいる水色や灰色のタンクが目に入る。その中に保管されているのが「トリチウム水」だ。2011年の原発事故で、メルトダウンした核燃料を冷やす過程で発生する汚染水は、特殊な装置で日々浄化され、様々な放射性物質が取り除かれる。しかし、浄化装置で取り除けずにどうしても残ってしまうのがトリチウム。事故後10年間、東京電力はこの「トリチウム水」をタンクでの保管を続けてきたが、その量は120万トンを超え、2022年には保管スペースがなくなると説明している。

■蘇る風評被害の記憶

 そうした中、原子力発電所を管轄する経済産業省の有識者委員会は、今年2月に「現実的な選択肢は海か大気中への放出で、海洋放出の方が確実に実施できる」という報告書をまとめた。しかし、福島の漁師たちは「海に放出すれば、風評被害がまた起こる!」と口を揃え、一斉に反対の声をあげている。

 漁師たちの脳裏には、思い出したくもない光景が蘇る。福島では原発事故の翌年から試験的な漁が始まった。放射性物質の検査をして安全が確認された魚種だけを水揚げするが、東京築地市場では福島の隣県の魚でさえもセリにもかけられない状況が続いた。そのセリの現場を目の当たりにした漁師たちに、当時の卸業者はこう伝えた。
 「消費者は限りなくリスクがゼロのもの、絶対に安全なものを求める。取引再開は難しい。」
 水揚げしても取引すらされない、セリにかけられても僅かな値段しかつかない…。福島の漁師たちは風評被害の怖さを、身をもって知っている。

 全国漁業協同組合連合会も6月に「海洋放出に断固反対する」との特別決議をまとめた。海に県境はなく、国内だけでなく海外からも風評を招く恐れがあるからだ。福島第一原発事故以降、6つの国と地域(中国、香港、台湾、マカオ、韓国、アメリカ)では今も日本からの食品輸入に規制をかけていて、台湾の市民団体からは「海洋放出することでどういう影響がでるのか予想ができず、政府に反対の立場を示すよう呼び掛けたい。」との声も上がっている

■科学では解決できない“風評ジレンマ”

「これまでの動物実験や疫学研究からトチリウムが原因とみられる健康への影響はみつかっていない。」経済産業省の有識者委員会の報告書では、海洋放出の科学的根拠をそう説明している。

 原子力発電所のほかに、自然界でも大気中の窒素や酸素と宇宙線が反応することで生成されるトリチウム。経済産業省によれば「トリチウムは自然界に100〜130京ベクレル存在するとみられ、1年で約7京ベクレル(7兆の1万倍)生成されている。」という。さらに「トリチウムの放射線はエネルギーが弱いため、空気中を約5ミリメートルしか進むことができず、紙1枚あればさえぎることが可能」とされ、自然界に大量に存在しかつ危険性も低いとの説明だ。

 トリチウムの性質に詳しい茨城大学の鳥養祐二教授によれば、水道水や私たちの体にもわずかに含まれているという。記者に1杯のコーヒーを差し出し、「このコーヒー1杯だと0.5ベクレルの量。体に取り込んだ場合は10日くらいで半分になる。一部はDNAにも入るが排出されるので結局は体内のトリチウム量は変わらない。」として科学的には影響はないという。このため、世界中の原発では、発電する過程で大量の「トリチウム水」が廃棄物として発生するが、一定の濃度に薄めた上で海に放出されている。日本では1リットルあたり6万ベクレルが排出濃度の上限で、全国の原発では年間約380兆ベクレルが排出されてきた。福島第一原発に保管されている120万トンの中には約1000兆ベクレルのトリチウムがあるとされるが、多くの専門家は「薄めて海に流せば科学的には問題ない」との見解だ。

 しかし、人々の消費行動を左右する“風評”は、科学で解決できるとは限らない。

 福島県に本社を置き、東北や関東5県に展開するスーパー「ヨークベニマル」の真船幸夫社長は「お客様に安全が伝わらなければ風評が起こる。中途半端に放出が始まると風評払拭に長い時間が掛かってしまう。」と懸念を示している。福島県商工会連合会の轡田倉治会長は「風評はこちらが大丈夫と言ってもいつまでも続く。いずれは処分しなければならないなら、早く処理してもらって風評をなくしてもらいたい。」と意見する。世界中の原発で海に放出されているトリチウム水であっても、福島第一原発から放出されるというだけで人々に与える不安の大きさは計り知れない。

■結局、誰が決める?

 今年2月末に福島第一原発を視察した国際原子力機関(IAEA)のグロッシー事務局長は、「トリチウム水の処分方法の決定は、日本政府が行うのが基本」と話すが、果たして日本政府が海洋放出を判断することはできるのだろうか?

 原発事故後の福島の環境回復に取り組む環境省は批判の声に晒されている。

 去年9月、環境省の原田義昭前大臣は記者会見で「海洋放出しか方法がないというのが私の印象だ。」と述べた。これに対して漁業関係者から反発の声が上がり、その後、後任の小泉進次郎大臣は「福島の皆さんの気持ちをこれ以上傷つけないような議論の進め方をしないといけない。」と海洋放出に慎重な姿勢を示した。この発言に対して、今度は科学者や専門家から「無責任」などと批判を浴びることになった。

 小泉大臣の発言を受けて、福島から遠く離れた大阪市の松井一郎市長は、「科学的根拠を示して海洋放出すべき。大阪まで持ってきて流すなら協力の余地はある。」と大阪湾への放出容認を示唆する発言をした。しかし、これも周辺の自治体や漁業関係者から多くの反発をかう結果となった。現在は、廃炉作業を担う経済産業省が中心となり自治体や関係者から「御意見を伺う場」を開催し、トリチウム水の処分を最終判断しようとしているが、意見がまとまる気配はみられない状況となっている。

■トリチウム水の排出 消費者の半数以上「知らない」

 福島第一原発の事故では、外部へ飛散した目に見えない放射性物質が多くの人に恐怖感を与えた。様々な専門家が安全性と危険性の両方を語り続けた。暑い夏もマスクに長袖姿で登校した子どもたちは、放射能を避ける代わりに屋外での運動を制限され、体力低下や肥満を招いた。父親を福島に残し県外に避難せざるを得なかった家族は、二重生活の負担だけでなく差別や偏見にも晒された。自主避難でそのような二重生活を経験し数年後に福島に戻ってきた母親(44歳)は当時をこう振り返る。

「放射能から逃れて健康を守るってことよりも家族が離れ離れになることの方が、私たち家族にとっては大きいリスクなんじゃないかと、パパとサヨナラして1時間ぐらい泣く子どもを見てずっと感じていました。」

 それぞれが生活の中でリスクとバランスを取ることの重要性は、「トリチウム水」の問題にも当てはまる。廃炉計画に支障となるリスクと、放出した場合に生まれる「新たな風評被害」のリスク…。ただ、「トリチウム水」の問題は、専門家と関係者の間での議論にほぼ留まりっている。国民に対するリスクの説明が不足したままで、「正しく怖がる」ための土俵にも立っていない。

 東京大学などが福島県、宮城県、茨城県、東京都、大阪府の消費者1500人を対象に行ったアンケート調査がある。この中で、トリチウム水が世界中の原発から排出されていることを「知らない」と回答した人は74%にも上る。また、海や大気に放出する可能性を検討していることですら、半数以上の53%が「知らない」と回答している。

 原発事故後に自主避難女性を経験した女性(前述)に、風評被害をなくすために必要なことを聞くとこう答えた。「行政、市民、生産者、消費者みたいに分かれるんじゃなくて、お互いにできるところ、できないところを話し合う場がないだけじゃないのかな。」多くの国民が「知らない」状態を解消する前に、議論は最終決定に向かおうとしている。

※動画は福島中央テレビのローカルニュース(福島地区)で放送した内容のダイジェスト版です。
※この特集は福島中央テレビとYahoo!ニュースの共同連載企画です。
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