[2018_09_03_04]古賀茂明「『放射性物質を海に流す』安倍政権の方針は7年前から決まっていた」(AERA2018年9月3日)
 
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古賀茂明「『放射性物質を海に流す』安倍政権の方針は7年前から決まっていた」

 8月30日と31日、「トリチウム」という放射性物質を含む水の処分をめぐり、国の有識者会議は初めての公聴会を福島県富岡町、郡山市と東京都で開催した。トリチウムは、水の一部として存在しているため、他の放射性物質とは異なり、現在の放射性物質除去システムでは取り除くことが難しく、処理された水の中に残されてしまう。そのため、最終的にこのトリチウムを含む水をどう処分するかということが、何年も前から課題とされていた。
 今回の動きは、政府が、東京電力福島第一原発事故から7年以上経って、ついに「汚染水を薄めて海に流す」ことを認めさせるために、住民に最後通牒を突き付ける決断をしたということを意味している。
 もちろん、漁業者などからは、風評被害を招くなどとして強い反対の声が上がった。しかし、はっきり言って、もう結論は出ている。今行われているのは、単なる最後のガス抜きと形式的な儀式に過ぎない。
 実は、この方針は、事故直後から経済産業省の中では既定方針だったと見られる。専門家の間では、2011年4月頃から、汚染水の大量漏出の危険性が指摘されていた。10万トン級のタンカーを原発近くに停泊させてそこに高濃度の汚染水を貯留するというアイデアまで提案されていたくらいだ。それくらい緊急性があると考えられていたことになる。
 私が最も信頼する原子力発電専門家である佐藤暁氏は、亡くなった吉田昌郎元福島第一原発所長に事故直後からいろいろと相談を受けていたそうだが、その中でも、吉田氏は汚染された冷却水の処理方法がないことを心配し、水冷式以外の方法を一緒に考えて欲しいと依頼していたそうだ。
 つまり、原発専門家にとっては、汚染水処理問題は最優先だとすぐにわかる課題だったのだ。
 一方、事故直後に経産省が最優先にしたのは、「東電を破たんさせない」ということだった。このため、全ての対策は、東電が破たんしない範囲でのコスト負担を上限とするという被災者無視の不文律が支配することとなった。
 それが最も端的に表れたのが、汚染水対策だ。原子炉に注入される冷却水は高濃度汚染水となる。さらに、これに地下水が流入し、大量の汚染水が毎日数百トン単位で発生する。そこで、汚染水から放射性物質を除去するシステムが導入されるとともに、流れ込む地下水を遮断して、少しでも海に流れ出る汚染水の量を減らす対策が急務となった。
 地下水を止めるために、地下水の地盤よりも深いコンクリートの壁を作る構想も提案されたが、これだとコストが高いので東電が破たんするという理由で却下された。最終的に採用されたのが、いわゆる「凍土壁」である。鋼製の管を地中に埋め込んで管の内部に冷却材を送り込んで冷やし、周囲の土を凍らせることで壁を作るというものだ。実用化された技術ではあったが、これほど大規模に使われたことはなかった。しかし、実は、それが経産省が凍土壁を採用した最大の理由だ。初めて実施する大規模な凍土壁の建設だから、リスクが大きすぎて民間企業(東電)にやらせるのは無理だという理由で、国が資金を出すことになった。もちろん、国民の税金である。これがコンクリート壁だと、普通の工事だから、東電が出せとなるということになり、東電の財務に負担がかかるという事情があったのだ。しかし、当初からこの凍土壁では大きな効果が見込めないというのが大方の予想であった。
 それでもこの方法にこだわったのは、東電の財務事情の他にもう一つ理由があった。それは、放射性物質は、どうせ海に流すしかないという経産省の確信犯的意思があったということである。なるべく金を出さずに、静かに海に流せばいい。海は大きい。薄まればどうということはない。そう考えたのである。その後、経産省の考え方に沿って、大量の汚染水が垂れ流されることになった。
 この考え方は、2012年にできた原子力規制委員会にも引き継がれる。規制委の本来の業務は、まず、福島第一原発の事故後の処理であるはずだった。原発の安全を確保し、国民の生命健康を守るという使命から言えば、汚染水垂れ流しという深刻な安全・環境問題の処理を最優先にすべきであるのにもかかわらず、規制委は、この問題に目をつぶり、原発再稼働のための基準作りだけに猛進するのである。これは、当時の民主党野田内閣の方針でもあった。
 そして、汚染水の問題が再び脚光を浴びたのは、13年夏になってからだった。大量の汚染された地下水が垂れ流しになっていたという事実が(専門家のほとんどはそうであることはわかっていたが)7月22日に東電によって正式に発表されたのだ。それまでも汚染水タンクからの漏出や取水口付近の放射能汚染などの「事象」はたびたび報じられていたが、地下水が漏れ出ているのを正式に認めたのは初めてだった。このニュースは衝撃をもって受け止められた。地下水による海洋汚染が一過性の事故ではなく、恒常的に続いていたのはほぼ確実だということになるからだ。もちろん、原発付近の住民のみならず、日本中、さらには世界中の人たちを不安に陥れるニュースだった。
 後に判明したのだが、実は、この事実は、東電上層部はもっと早い段階で知っていたが、発表を当日まで延期した。その理由は、前日の7月21日が参議院選挙の投票日だったからだ。もちろん、安倍政権への「忖度」あるいは、政権からの指示があったことは明白である。
 この時の発表では、高濃度汚染水が漏れ出たとしても、「汚染は放射性物質の流出を防ぐシルトフェンス内側に限られ、沖合への影響はない」という説明だった。
 しかし、このフェンスは完全に仕切られたものではなく、海水が自由に出入りするものであることも判明。ここでも、沖合に出れば、汚染濃度も薄まるから大丈夫という考え方を取っていることがはっきりした。
 そして、その後は、この「騒ぎ」を奇貨として、「汚染水対策に政府が前面に出る」という方針が示されるが、そうは言っても、対策を実施するのはそれまでと同じ東電。政府が前に出るというのは、「カネは東電ではなく政府が出す」というだけの意味だった。ここでも東電を破たんさせないという方針が堅持されたのだ。
 結局、その後遮水壁が完成しても効果は限定的だという予想通りの結果が出た。福島第一原発の敷地は汚染水タンクで埋め尽くされつつあり、あと2年ほどで、タンク増設の土地が不足することになる。しかし、放射性物質除去システムではトリチウムは除去できないという問題も含め、汚染水問題は放置されたまま、今日に至った。

「アンダーコントロール」が大嘘だったと言われないためにはもう待てないという事情

 ブエノスアイレスで開催されたIOC総会で東京オリンピック・パラリンピック開催が決まったのは、この汚染水騒動が少し収まった13年9月7日だ。当然のことながら、IOCでは、東京の放射能汚染を懸念する声が上がった。
 安倍総理の「天下の大嘘」と言われる「アンダーコントロール」発言が飛び出したのは、まさにこの時だ。「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は統御されています(アンダーコントロール)」「東京には、いかなる悪影響にしろ、及ぼしたことはなく、今後とも及ぼすことはありません」「汚染水の影響は、完全にブロックされています」と安倍総理は大見得を切った。もちろん、事実からかけ離れた、口から出まかせに近い内容だが、これは世界への公約となった。
 それを前提にすれば、2020年夏のオリンピック開会式までに、汚染水問題を解決しておくことは、至上命令である。そのためにはトリチウムを含む汚染水処理問題に今決着をつけなければならない事情がある。汚染水を薄めて海に流すと言っても、大量の汚染水を漏出すことなくタンクから移し、大量の水に混ぜて薄めて放出するには、それなりの設備が必要だし、時間もかかる。準備だけでも2年くらいかかるという予測もある。ということは、もう今がギリギリのタイミングだ。
 経産省は、元々薄めて流す確信犯だったが、それは表に出さず、静かにこの日のために準備を進めてきた。15年から有識者会議で5つの処理方法を検討。「海洋放出」の他に、「水素に変化させての大気放出」「蒸発」「地層注入」「地下埋設」なども検討対象に入っているかの如く振る舞った。しかし、海に流す方が安いに決まっている。結局「薄めれば安全」ということを専門家に言わせ、一番安いという試算も併せて出して、希釈して海洋放出という結論に持って行った。
 もちろん、最初からそれに決めましたというと、地元、特に漁業者の反発は必至だ。世論も批判するだろう。それがわかっているので、まずは、丁寧に皆さんの意見を聞きますという態度を示すことにした。それが今回の公聴会だ。原発関連ではお決まりの手順である。

●素朴な疑問には答えず疲れを待つ作戦

 そもそも、海洋放出は、原子力規制委の方針でもある。規制委の前委員長田中俊一氏は、早くから、その方法を示唆した。安倍総理の五輪誘致を応援する意味があったのかどうかはわからないが、問題の安倍発言直前の13年9月2日の日本外国特派員協会での会見で、田中氏は、「必要があれば、(放射性濃度が)基準値以下のものは海に出すことも検討しなければならないかもしれない」と述べている。まだ「検討」「かもしれない」としか言っていないが、それを文字通り「検討の可能性」だととるのはあまりにナイーブだろう。この時から田中氏の腹も決まっていたと考えるべきだ。「薄めれば安全」という考えは、安倍発言の基盤でもある。「アンダーコントロール」と安倍総理が自信を持って言えたのは、田中氏のサポートがあったからだと言っても良い。
 しかし、どんなに専門家が「薄めれば安全」と言っても、素人がそれを信じると考えるのは間違いだ。「薄めれば安全」と言えば、「薄めなければ危険なんだ」という疑念を呼び、「危険なものなら、流さない方が良い」という心理になる。本当に安全なら、薄めた汚染水を官邸の庭に撒くか東京湾に放出してみろという声も出そうだ。
 政府は、「トリチウムは自然界にも存在するし、他の原発でも基準値以下の濃度のトリチウムは海に流している」と言って安心させようとする。しかし、他の原発が流しているトリチウムの量に比べてはるかに大量のトリチウムを流すのだから、「他と同じ」と言っても、「他よりもはるかに大量なのに大丈夫だとどうしていえるのか」という話にもなる。
 しかも、基準値以下なら安全と言うが、その基準値の根拠は何かと言われても、実は明確な答えはなく、国際的な水準だというだけのことだ。海洋放出しないと原発運用上困るから認めているというのが実態だから、国民に明確な説明ができない。
 さらに、最近では、トリチウム以外にも、処理済みのはずの汚染水で一部基準値を超えるルテニウムやヨウ素などの放射性物質の存在が確認されるなど、住民の不安を煽る事実も出てきている。
 このような状況では、当然、生活がかかっている福島の漁業者や住民が「安全性」に納得するはずがない。
 さらに、仮に「安全」だとしても、「風評被害」が生じることは確実だ。
 福島では、事故後長期にわたり操業が停止されていたが、その後は徐々に操業が認められ、試験操業とはいえ、厳格な検査を経て、現在では一部の魚種では築地にまで出荷されるに至っている。その努力が一瞬にして水泡に帰し、また一からやり直しだと考えれば、理解を得るのはほとんど無理だと考えるべきだろう。
 もちろん、そんなことは経産省も規制委もよくわかっている。ここから先は、いつもの作戦を展開することはもう決めているはずだ。
 すなわち、当分は、ただ、ひたすら話を聞くふりをする。一方で、「風評被害対策」という名目で金をバラまく姿勢を見せ、もらえるならまあ仕方ないという漁業者を一人二人と増やして行く。そのうえで、どこかで有無を言わさず、「海洋放出」を「決定」し、あとは、何を言われようが絶対にそれを動かすことはない。そのうち、反対する団体もカネで何とか抑えられるという自信があるからだ。総裁選や沖縄県知事選が終わり、統一地方選が近づく前には、決定を下すことになるだろう。
 福島県の内堀雅雄知事は8月20日の定例記者会見で「国や東電に対しては環境や風評への影響などについて、しっかりと議論を進めて丁寧に説明し、慎重に対応していくことを求めたい」と語ったそうだ。官僚経験者の私に通訳しろと言われれば、「海洋放出反対とは言ってませんよ。『風評への影響』対策で、地元を黙らせるくらい十分なお金をはずんでくださいね」という意味になる。
 20年夏のオリンピックの開会式では、安倍総理が、「日本は、福島第一原発事故を見事に乗り越えました。私は、世界中の皆様から寄せられた温かいご支援に心から感謝するとともに、何よりも、幾多の困難を乗り越え、見事に復興を成し遂げた福島県民の皆様の献身と勇気に対して、世界中の友人たちとともに、心からの敬意と感謝の気持ちを表したいと思います。」と胸を張ることになるだろう。
 もちろん、そのころまでには、汚染水が日々希釈されて海洋放出されるという話はほとんど報道されなくなり、この安倍総理の晴れ姿が大きく紙面を飾ることになる。公聴会は終わったばかりだが、そんな光景が目に浮かぶのである。(古賀茂明)

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