【記事81370】<原発事故に備え バス避難を考える>(上)県試算 机上でも破綻(東京新聞2019年3月11日)
 
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<原発事故に備え バス避難を考える>(上)県試算 机上でも破綻

 東京電力福島第一原発事故から11日で、8年になった。当時、原発周辺住民の避難を手伝うため、県内からもバスが派遣された。東海村の日本原子力発電東海第二原発で深刻な事故が起きた時も、マイカーを利用できない人の避難の支えはバスだ。福島での教訓を振り返りながら、バスによる避難の課題を考えた。 (山下葉月)

 二〇一一年三月十一日深夜、一台の高速用バスが、水戸市から東京電力福島第一原発が立地する福島県大熊町に向かった。
 関東鉄道(関鉄、土浦市)の水戸営業所に勤務する運転士の林政春さん(53)と豊田寿朗(じろう)さん(49)は二人一組で暗闇の中、県警の車両に誘導され、常磐道に入った。仕事は国からの要請で、大熊町の住人を西隣の田村市の避難所に運ぶことだが、原発が深刻な状況とは思いもよらなかった。
 豊田さんは「常磐道は震災直後で傷みが激しくでこぼこで、パンクに気を付けながら走った」と、普段よりも神経を使う運転だったと振り返る。
 時速四十キロで進み、福島県に入ったのは翌朝午前六時ごろ。大熊町付近では、福島県警の警察官が白い防護服を着て対応していた。豊田さんは「本当に大丈夫なのか」と不安を感じ始めた。
 約五十人をバスに乗せて二往復した。通常三十分で行ける道は避難する車であふれ、三時間かかった。
 原発の爆発を知ったのは十二日の夜、水戸に戻る途中のサービスエリアだった。豊田さんは「原発事故と知っていたら、行ったかどうか。見えない恐怖の中、行くのは実際は嫌です」と吐露する。
 関鉄は、県内最多の約五百台のバスを保有するが、林さんと豊田さんのように当日、福島へ出せたのは百分の一の五台だけだった。
 五百台のうち、市街地を走る路線バスや高速バスなどの「乗り合いバス」の約四百台は、壊れた道路を迂回(うかい)し運行を続けていたり、帰宅困難者の対応に当たったりした。高速バスは東京から戻れないケースもあった。学校やイベントなどで使うバス約百台も使用中などで福島に出せなかった。
 東海村の日本原子力発電東海第二原発で、福島と同様な事故が起きた時、避難者を迎えに行けるのか。
 県は三十キロ圏の避難に現状、五十人乗りのバス三千二百七十台が必要とみる。県バス協会に登録される二千九百六十六台を全て使っても足らず、机上ですら破綻している。
 福島の事故の例を見ても、わずかな台数の確保すら危うい。関鉄の宮野裕司自動車部次長は「貸し切りバスも動かせれば、お客さんのために使う。基本的に避難で使えるバスはないと思う」と言う。
 運転士が、実際にハンドルを握ってくれるのかも分からない。福島に向かった林さんは「若い運転士は行かせたくない」と話す。豊田さんは「茨城は福島以上に道路が混雑する。そもそも村まで行けるのか」と疑問を投げ掛ける。

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