【記事10257】一夜あけた新潟 スコップだ!復旧だ! 血走る目 砂かいだし 「給水車来る」にどっと行列 迫る炎、また避難 臨港地区 黒煙に空も位 1.5メートルもりあがった粟島 巡視船が報告 地下にめりこむビル街 駅前では早くも店開き 列車で500人夜明かし 避難所もこわい 山形 余震におびえ路上 新潟地震の災害写真速報展(毎日新聞1964年6月17日)
 
 

※以下は上記本文中から重要と思われるヶ所を抜粋し、テキスト化したものである

【新潟で本社特派員団】空腹と恐怖に耐えながら暗黒の夜があけた。いつ襲ってくるかわからない余震と、くずれ落ちそうなわが家の心配で、ほとんどの人は地割れの道に野宿した。水道管が破裂し、たのみの井戸も少なく、飲み水すら行列しなければならない。昭和石油のタンクは、いつ消えるともなく燃え続け、ついに民家へ延焼をはじめた。再び避難だー。しかし、新潟の人々はそのドン底から立ち上がっている。家の中から泥をかい出し、倒れかけた家に突っかい棒をする。自衛隊を中心にスクラムを組んで″自然の猛威”への戦いを開始した。空は青く晴れあがっている。
(中略)
地下にめりこむビル街

 国鉄新潟駅前からの東新潟一帯は、すさまじい光景だ。両側のビルのほとんどが一階の半分から3分の1ぐらいまで地下にめり込んで水浸し。三階建が二階建になっている。”ピサの斜塔”以上に20度、30度傾いていまにもビルが倒れそうだ。
 川べりでも鉄筋づくりのビルが傾き、陥没している。日通新潟支店、新潟交通、バスステーションビル、キリンビール新潟出張所ーちょっと見回しただけでも数えきれない。
(中略)

八郎潟干拓地にもまた被害

【秋田】立往生していた秋鉄局管内の旅客列車約50本は17日朝から部分的に動き始めた。男鹿沖地震で堤防が沈下した八郎潟干拓地はまた傷跡を大きくした。琴浜村宮沢付近の西部承水路堤防は再び延べ1500メートルわたり5ないし30センチ沈下した。

1.5メートルもりあがった粟島
巡視船が報告

 新潟地震の震源地に近い日本海沖の粟島(新潟県岩船郡粟島浦村、面積約9平方キロ、人口約800人)へ17人午前3時半接岸した新潟海上保安本部の巡視船”しなの”(270トン)から海上保安庁へつぎの調査報告がはいった。
1、八幡鼻および旗崎の沖の岩礁は隆起して陸続きとなり、内浦港の突堤は完全に水上に出ている。
1、粟島は一周して同島は全体的に1.5メートルていど隆起した模様。
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