新潟地震 |
発生日 | 地震名 | その他の地震名 | M | 最大震度 | 死者・行方不明者(人) | 特記 | 時分 | 緯度(度) | 経度(度) | 深さ(km) | 全・半壊戸数 |
1964/06/16 | 新潟地震 | 7.5 | 5 | 死者26人 | 13時1分 | 38.4 | 139.2 | 34 |
< 1 > 記事番号[1]〜[5] / 記事総数[43] | 5進む▼ |
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新潟地震 液状化で建物倒壊、石油タンクが炎上 毎日ニュース | Youtube | 1964/06/16 | TOP |
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新潟地震_火災と液状化_大きく傾いた県営川岸町アパート | Wikipe | 1964/06/16 | TOP |
1955年に発生した新潟大火から復興を遂げてきたばかりだった新潟市内は大きな被害を受けた。信濃川左岸では、液状化現象により河畔の県営川岸町アパートが大きく傾き、ほぼ横倒しになった棟もあった。(後略) |
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新潟・山形地方に大地震 橋が落ち、家屋は倒壊 震源地 新潟沖 ガスタンク大爆発 | 毎日新聞 | 1964/06/16 | TOP |
16日午後1時2分ごろ、新潟、山形、秋田地方を中心に、東北から関東、中部地方にかけて大きな地震があった。震源地は新潟県沖の日本海と見られる。(後略) |
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新潟地震 今日中にも万全策 政府 対策本部が初会合 まず交通網回復 | 毎日新聞 | 1964/06/17 | TOP |
新潟地震非常災害対策本部は16日午後9時半から総理府で河野本部長(建設相)野田副本部長(総理府総務長官)松村環境災害対策本部長(消防庁長官)らが出席して初会合を開き、関係各省庁からこれまでの被害状況とすでにとった応急対策をそれぞれ報告した。(後略) |
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新潟・無残なキズ跡 燃えるタンク キレツでずたずた 津波に洗われて | 毎日新聞 | 1964/06/17 | TOP |
キレツでずたずた(新潟市内では各所で道も歩けぬほどの被害が出た) 津波に洗われて(荒らされた佐渡の両津港には打ち寄せられた木材がちらばっている 燃えるタンク(黒煙をあげる新潟市の昭和石油)(夜になっても燃え続けた) |
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新潟地震 暗黒と恐怖の一夜 タンクつぎつぎ誘爆 油が流れ民家に延焼 | 毎日新聞 | 1964/06/17 | TOP |
16日昼過ぎ新潟、山形、秋田地方を中心に東北、関東、中部地方を襲った「新潟地震」の被害は調査が進むにつれて拡大、17日午前2時現在死者24人、行方不明者14人、負傷者257人に上っている。(後略) |
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社説 新潟地震に万全の対策を | 毎日新聞 | 1964/06/17 | TOP |
新潟地震の被害は、予想外に大きいようである。交通機関や電信電話などの通信機関がとぜつしているため、正確な被害集計はまだわかろうはずもないが、新潟市内の建物の三割は傾き、鉄筋コンクリートの建物はほとんどヒビ割れを生じ、さきほどの新潟国体を前に完工したばかりの昭和大橋も損壊した。(後略) |
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被災地へ急ぐ救援の手 食糧を 水を 血液を 民間からも続々見舞品 | 毎日新聞 | 1964/06/17 | TOP |
新潟地震の被災者を救えー現地の被害の規模が刻々と伝えられるとともに、各方面から暖かい救援の手がつぎつぎに差しのべられている。政府機関ばかりではなく、一般の人々からも、食糧や毛布などたくさんの見舞品が送られていった。(後略) |
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火攻め、水攻めの新潟 県営アパートも横倒し 黒煙・濁水に逃げまどう 軟弱な新潟の地盤 | 毎日新聞 | 1964/06/17 | TOP |
【新潟で浦野記者】夜空にたちのぼる"黒いキノコ雲"。黒煙の帯の幅は1000メートルはあろうか。昭和石油の石油タンクがふきあげる煙だ。その下で溶鉱炉の火のようにはげしい炎がもえつづける。新潟市に一歩足を踏み入れて感じたことは、大自然の力の前にはあまりにももろい人間の営みだった。(後略) |
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石油爆発の猛火 民家に延焼、有毒ガスの危険 空から消火剤、破壊消防へ 余震つづく | 毎日新聞 | 1964/06/17 | TOP |
【新潟で本社特派員団】16日の大地震でキレツ、浸水、火災と全半壊の"傷だらけの町"と化した新潟市は一夜明けた17日早朝から復旧のツチの音が力強く響き渡った。昭和石油のガソリンタンクの黒煙の帯はまだ重苦しく市街の空に覆いかぶさっているが、市民たちは力を合わせて排水作業に取り組み、新潟県地震対策本部は復旧の三本柱として、道路、水道、電気の早期復旧を打ち出した。(後略) |
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参院で緊急質疑 タンク消火が急務 自治相報告 一番困る飲料水 国鉄被害は戦後最高 | 毎日新聞 | 1964/06/17 | TOP |
17日の参院本会議は新潟地震について、現地から帰京した赤沢自治相の被害報告をもとに、自民党佐藤芳男(新潟)および野党を代表して社会党大倉精一(全国)の両氏が質問に立ち、被災者に対する救援措置、災害復旧の対策などについて政府の方針をただした。(後略) |
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惨禍にめげず 恐怖の一夜明けて まず道路の水かき 手に手にバケツ持って | 毎日新聞 | 1964/06/17 | TOP |
恐怖の一夜あけて(万代橋のたもとで夜を明かした避難民たち) 救援を早く 校庭に「キュウエンタノム」の文字を書いて救援をまつ人々(新潟市山ノ下中学校で) まず道路の水かき(水びたしで車もストップした新潟市内) 手に手にバケツ持って 自衛隊の給水車で給水を受ける主婦たち=酒田市内で |
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本社記者団座談会 この目で見た「新潟地震」 家にも田にも黒い砂 | 毎日新聞 | 1964/06/17 | TOP |
【新潟】新潟地震を取材するため本社記者団は新潟市への唯一の連絡路、自動車による陸路から同市に入った。水、電気、ガス、電話ーとすべてを失い、陸の孤島と化した同市は自然の力でねじふせられたような状態だった。復興までいく日かかるのか、救援対策はどうなっているのか、市民の表情は、被害の状況は(後略) |
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一夜あけた新潟 スコップだ!復旧だ! 血走る目 砂かいだし | 毎日新聞 | 1964/06/17 | TOP |
【新潟で本社特派員団】空腹と恐怖に耐えながら暗黒の夜があけた。いつ襲ってくるかわからない余震と、くずれ落ちそうなわが家の心配で、ほとんどの人は地割れの道に野宿した。水道管が破裂し、たのみの井戸も少なく、飲み水すら行列しなければならない。(後略) |
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震災の新潟 ついに大火 200戸を焼きつくす タンクは猛煙 消火弾投下できず | 毎日新聞 | 1964/06/18 | TOP |
【新潟】新潟地震の発生以来燃え続けている昭和石油のタンク火災は、17日午後になって、ついに風下の住宅地に飛び火、18日午前零時までに、隣接の約200戸を焼きつくし、新潟全市の上空は物すごい黒煙に包まれている。焼失したのは同市臨港町1,2丁目、松島町の住宅地で、危険を感じた同市の対策本部は、現場から半径1キロ以内の全住民を避難させた。(後略) |
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昭和大橋崩壊を重視 立地政策に産業災害を盛り込む 通産省検討 | 毎日新聞 | 1964/06/18 | TOP |
大蔵省は新潟地震で昭和大橋や県営アパートが、もろくもくずれたことを重視しており、建設省と共同で原因調査に乗り出す方針である。とくに昭和大橋などは、総工費3億7千万円のうち、3分の1を国が負担して、このほど完成したものだが、こんどの地震では他の橋が無事だったのに、ここだけ崩壊している。(後略) |
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「地震は予想外だった」 石油タンクの安全性 昭石の対策本部談 | 毎日新聞 | 1964/06/18 | TOP |
「新潟地震」の被害の中で最大の昭和石油の大火について、17日夜、同社の災害対策本部(本部長・早川洪二郎社長)は「安全装置はあったが、じしんは予想していなかった」とつぎのように語った。安全装置はついているが、それは火災予防のためのもので地震を想定したものではない。(後略) |
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「新潟地震」が教えるもの 各界の権威者に聞く | 毎日新聞 | 1964/06/18 | TOP |
こんどの新潟地震はとくに地盤の弱い所で起きたというのが特徴だったようだ。東京、大阪などの大都市はもちろん、最近、各地に近代的なコンビナート工場ができつつあるが私たちの住む身近な所でこういう震災が起きたらどうなるだろうー。(後略) |
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暗黒の新潟 緊張の第2夜 8000世帯、浸水のまま 5万人が避難 | 毎日新聞 | 1964/06/18 | TOP |
【新潟】17日、暗黒の第2夜を迎えて、新潟市民はなおも衰えない「火攻め」「水攻め」にあえいだ。昭和石油のタンク火災は化学消火剤による消火もできず、民家にまで飛び火して燃えひろがり約200戸を全焼した。また深いところでは1.5メートルを越える浸水も一向にひく気配もなく、8000世帯は浸水のまま。(後略) |
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新潟の復旧作業 急ピッチに タンク、やっと下火 対策本部 まず水道修理急ぐ | 毎日新聞 | 1964/06/18 | TOP |
【新潟】新潟市の復興は三日目を迎えた。18日からいよいよ軌道に乗り、市内各地で復旧作業が急ピッチで進められた。地震発生以来、燃え続けていた昭和石油のタンク火災も下火になり、市の上空を覆っていた黒い煙も晴れ、久しぶりに快晴の青空を仰ぎ、ヨロイ戸を固く閉ざしていた商店もポツポツ店をあけ、市の中心部はやっと活気を取り戻した。(後略) |
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新潟へ"地震調査団" 専門学者ら300人派遣 海藻枯れた"新陸地" 粟島 | 毎日新聞 | 1964/06/21 | TOP |
文部省は20日午後、河角廣東大地震研究所所長を団長とする300人の「新潟地震総合調査団」を新潟市に派遣することを決めた。調査団は、東大、京大、東京工大など各大学の地震、建築、土木関係専門学者を集めて編成し、橋、道路、ビルなどの耐震性を中心に調査し地震対策をたてるのがねらい。(後略) |
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地盤が「液化現象」 新潟地震の調査報告会 大崎氏が発表 | 毎日新聞 | 1964/07/10 | TOP |
アラスカ・新潟地震調査報告講演会が、日本建築学会、日本地震工学振興会の主催で9日午後6時から東京千代田区有楽町、朝日講堂で開かれた。新潟地震について大崎順彦建設省建築研究員は「新潟市の地盤が液化現象を起こし、建物はいわば液体の上に建っていた」と地盤の異常現象について報告した。(後略) |
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発生期にあった新潟地震 地殻変動、60余年のデータ 国土地理院 数年前から不安定 | 毎日新聞 | 1964/08/17 | TOP |
土地のかすかな上がり、下だりー地殻の変動ーをある期間、継続的に測量して地震の発生を予測することは、地震予知研究の重要テーマとなっているが、東京・目黒の建設省国土地理院測地部(部長・坪川家恒理博)は15日、新潟地震の震源地付近の4地点の過去60余年間にわたる克明な地殻変動のデータをまとめた。この結果、新潟地方はここ1、2年"地震の発生期"にあったことがわかった。大地震の震源地に近い場所で、過去の連続的な地殻変動をくわしくとらえたのは世界でもはじめて。文部省の審議会(宮地正司会長)でも「地震予知研究に有力な手がかりを与える貴重なデータだ」といっている。(後略) |
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新潟地震にメス 模型で震動実験も | 毎日新聞 | 1964/08/18 | TOP |
科学技術庁は新潟地震による被害の実態と建築物、土木建設、近代産業施設の今後の災害対策などについての総合的な調査研究の内容をまとめ、17日発表した。(後略) |
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地盤の"液化現象"解明 新潟地震で 大崎博士が発表 | 毎日新聞 | 1964/08/29 | TOP |
「新潟地震で建造物被害の大きな原因となった地盤の"液化現象"が建設省建築研究所の調査で解明され、28日、気象庁行動で開かれた新潟地震防災研究総合報告会の席上、大崎順彦同研究所構造研究室長から発表された。(後略) |
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社説 地震はどこにも起きる | 毎日新聞 | 1983/05/27 | TOP |
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日本海東縁部に断層線 大地震、過去に3回 | 毎日新聞 | 1993/07/13 | TOP |
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検証・危険列島 PAGE 206-207 | 検証・危険列島 新版 (生越忠) | 1995/02/22 | TOP |
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検証・危険列島 PAGE 2-3 | 検証・危険列島 新版 (生越忠) | 1995/02/22 | TOP |
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日本海東縁の活断層と地震テクトニクス | 東京大学出版会 | 2002/05/27 | TOP |
(前略)日本海東縁のテクトニクスは何条かの「歪み集中帯」が担っている.地形・地質,地震,地殻変動などのデータによる「歪み集中帯」の識別結果を比較検討し,本地域のテクトニクスに新たな視点を提起するとともに大地震の発生ポテンシャルの総合的な検討を行う.(後略) |
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日本海東縁部地震の長期評価 | 地震調査研究推進本部 | 2003/06/20 | TOP |
地震調査研究推進本部は、「地震調査研究の推進について −地震に関する観測、測量、調査及び研究の推進についての総合的かつ基本的な施策−」(平成11年4月23日)を決定し、この中において、「全国を概観した地震動予測地図」の作成を当面推進すべき地震調査研究の主要な課題(後略) |
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新潟で震度6強 震源浅く 重力超す1500ガル 小千谷観測 | 毎日新聞 | 2004/10/24 | TOP |
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M7.5 死者26人、家屋全壊2000戸 「64年新潟」以来の規模 | 毎日新聞 | 2004/10/24 | TOP |
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原発のある柏崎市、刈羽村では 余震で緊急停止、不安広がる | 赤旗 | 2004/11/05 | TOP |
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原発と地震 揺らぐ耐震性 見直し急 耐震指針 | 朝日新聞 | 2006/05/26 | TOP |
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ひずみ集中帯で多発 「中越は活動期」証明 海底断層調査は不十分 | 毎日新聞 | 2007/07/17 | TOP |
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「原発震災」 新指針の不備、見直し急げ 石橋克彦 | 朝日新聞 | 2007/07/26 | TOP |
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柏崎原発 閉鎖求める声明を発表 専門家らの会 | 新潟日報 | 2007/08/22 | TOP |
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初歩的ミス 地形学の常識を無視 国の専門家人選に偏り | 新潟日報 | 2008/01/05 | TOP |
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9千年間に26回大津波 新潟・佐渡島に堆積物 柏崎刈羽原発に到達か | 東奥日報 | 2012/10/18 | TOP |
▲5戻る | < 9 > 記事番号[41]〜[43] / 記事総数[43] |
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第1部_地震の基礎知識_1章_大きな地震と小さな地震_1.1_震度 | 防災科研 | 2016/06/24 | TOP |
(前略) 私たちは,これまでの経験から,大きな地震はめったに起こらないが,小さな地震は頻繁に発生することを知っています。ところで,地震の大きさを表わす言葉には,「震度」と「マグニチュード」(Mと略記される場合が多い)という2つの用語があり,世の中では大変に混同して用いられています。(後略) |
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地震の年表(日本) | Wikipe | 2016/07/10 | TOP |
(前略) 最近発生した地震の情報については、ウィキニュース、あるいは他の報道をご覧ください。ウィキペディアでは最近発生した地震に関する情報の正確さや新しさを保証できません。また、編集に際しては地震直後の被害状況など、すぐに古くなると考えられる情報については落ち着くまで更新を留保してください。(後略) |
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大地震にかけられた「あらぬ疑い」 | 島村英紀 | 2017/06/09 | TOP |
地震が「あらぬ疑い」をかけられることがある。ちょうど53年前の1964年6月に新潟地震が起きた。マグニチュード(M)は7.5。この地震は地震史上で最大のコンビナート火災を起こした。一般の家からは火は出なかった。(後略) |
記事終了 |