[2025_08_29_05]川内原発訴訟控訴審判決に強く抗議する 人権を切り捨てる原告適格否認、「社会通念論」による安全神話の復活、モニタリング依存の虚構による火山対策、規制委員会追随による司法の独立性の喪失、東電福島第一原発事故の教訓を軽視した判決 山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)(たんぽぽ2025年8月29日)
 
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川内原発訴訟控訴審判決に強く抗議する 人権を切り捨てる原告適格否認、「社会通念論」による安全神話の復活、モニタリング依存の虚構による火山対策、規制委員会追随による司法の独立性の喪失、東電福島第一原発事故の教訓を軽視した判決 山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)

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 8月27日、福岡高等裁判所(松田典浩裁判長)は、川内原発1・2号機の設置変更許可取消を求めた訴えを退けました。
 判決は、原子力規制委員会(規制委)の判断を全面的に追認し、住民の生命と人権を守るという司法の責務を自ら放棄するに等しいものです。この判決に断固として抗議します。

 第一に、判決は原告適格を極端に制限し、広範な住民の声を切り捨てました。
 放射線被ばくは20ミリシーベルトを超える場合だけでなく、1ミリシーベルトを超える場合にも健康被害のリスクが存在することは国際的に認められています。
 それにもかかわらず、裁判所は高線量被ばくに限定して適格を認める立場に立ち、被害が予見される住民の訴えを門前払いしました。これは憲法が保障する「生存権」「人格権」を軽視する判断であり、司法が人権保障の砦としての役割を自ら放棄したことを意味します。

 第二に、判決は「社会通念上容認できるリスク」という抽象的な論理を用い、火山リスクを過小評価しました。巨大噴火は「差し迫っていない」から考慮不要とするこの論理は、そもそも予測不能である破局的噴火を議論から排除するものです。
 九州は阿蘇・姶良・鬼界といった破局的噴火の歴史をもつ地域であり、過去数万年単位で繰り返し発生してきました。それを「社会が容認している」として看過するのは、東電福島第一原発事故以前の「安全神話」そのものです。

 第三に、判決はモニタリングに依存すれば安全確保できるという不合理を容認しました。
 しかし火山噴火の兆候を定量的に把握する指標は存在せず、噴火の予測は未確立です。規制委自身も火山学的知見を十分に有していないにもかかわらず、裁判所はその判断を追認しました。これは「兆候を観測できれば燃料を搬出できる」という非現実的前提に立った虚構の安全性に過ぎません。

 第四に、判決は規制委の専門知見不足を見過ごしました。火山に関する外部専門家の意見聴取も不十分で、最新の研究成果も十分に反映されていません。
 例えば、鬼界カルデラ直下に巨大なマグマ溜まりが存在する可能性を示す調査結果があるにもかかわらず、十分な検討がなされていませんでした。
 にもかかわらず裁判所は「看過し難い過誤欠落はない」と結論づけ、規制委の調査不足を免罪しました。これは司法が規制委に唯々諾々と追随し、独立した判断を放棄したことを意味します。

 第五に、判決は、東電福島第一原発事故の教訓を無視しました。この事故は「低頻度だから大丈夫」という思考がいかに危険であるかを示しました。放射能災害は一度起これば回復困難で、被害は世代を超えて継続します。それを司法が直視せず、確率論や社会通念を理由に安全性を追認する姿勢は、再び甚大な原発事故を招くものです。

 以上の通り、今回の判決は、
 1.人権を切り捨てる原告適格否認、
 2.「社会通念論」による安全神話の復活、
 3.モニタリング依存の虚構、
 4.規制委員会追随による独立性の喪失、
 5.福島第一原発事故の教訓の軽視、という重大な問題を含んでいます。
 この判決を司法の後退として断固糾弾し、裁判所は真に国民の命と人権を守る判断がなされることを強く求めます。
 川内原発の運転は、九州だけでなく日本社会全体の安全を脅かすものです。本判決に屈することなく、すべての原発の廃炉と、再生可能エネルギー中心の社会への転換を求め続けます。
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