[2024_02_05_02]珠洲原発を止めた住民の方々以外にも全国に感謝を伝えたい 全国で50箇所以上、原発計画を持ち込まれて 拒否した地域があるから その一つ岩手県田野畑村で反対運動を始めた岩見ヒサ氏 いくら戦闘機やミサイルを買い込んでも国は守れない 国を守っているのは良識ある市民である 上岡直見(環境経済研究所代表)(たんぽぽ2024年2月5日) |
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04:00 ◎ 2024年2月2日のメルマガ【TMM:No4969】でも伝えられたように、珠洲原発を止めた住民の方々に全国から感謝の声が寄せられている。 しかし珠洲だけでなく他にも感謝を伝えたい人々や地域がたくさんある。 全国で50箇所以上、原発計画を持ち込まれて拒否した地域があるからだ。 個別の運動史が残っていない地域も多いが、平林祐子氏の「原発お断り地点と反原発運動」という資料で全国の「お断り」地点が網羅されている。この資料は現在も閲覧できる。(※1) ◎ その一つに岩手県田野畑村がある。ここに1981年に原発計画が持ち込まれた。 当時の岩手県知事は誘致に積極的だったが、住民の中に疑問を持つ人があり、広瀬隆氏の本を取り寄せて勉強したところ、こんな危険なものはだめだと考えて反対運動を始めた。 交付金を期待して賛成の動きもあったが、当時の村長は「住民が嫌なものはつくらない」という姿勢で、1982年に田野畑村は候補から外された。さいわい他地域のように住民を分断する紛争までにはならずに決着したようである。 ◎ この運動史は、私がたまたま岩手県を旅行していた時に地元の書店で、反対運動を始めた岩見ヒサ氏の『吾が住み処ここより外になし−田野畑村元開拓保健婦のあゆみ』という本で見つけた。(※2) この開拓保健婦がまた大変な仕事で、敗戦後で今のような重機もない時代に、鍬(くわ)一丁で開墾・入植した開拓村を、徒歩で回って保健指導をしていた人の記録である。原発のことを別にしても一読の価値がある。 ◎ 東日本大震災で田野畑村は地震の揺れは震度4だったが、津波は25mを超えた。地図をみると海沿いに三陸のリアス式の断崖絶壁が続き、原発を建てるには福島と同様に地盤を切り下げて用地を造成しなければならない。 東電福島第一原発は15mの津波であのような惨事になり、それでも東電は想定外だと主張している。 もし田野畑だったら、非常用電源の喪失どころか、発電所全体が水没して何の対処もできず、放射性物質の放出に任せるしかなかったのではないか。 ◎ 実はこの期間に、隣接する田老・久慈にも原発の建設計画が持ち込まれていたが、結局岩手県に原発は建たなかった。 東日本大震災の津波被害を考えれば、もし一か所でも建っていたら東北全域が廃墟になっていたかもしれない。 いくら戦闘機やミサイルを買い込んでも国は守れない。 国を守っているのは良識ある市民である。 (※1)https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/images/oz/contents/661-03.pdf (※2『吾が住み処ここより外になし−田野畑村元開拓保健婦のあゆみ』萌文社 |
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