[2017_03_01_04]【社説】原発再稼働 責任と倫理はどこに(東京新聞2017年3月1日)
 
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【社説】原発再稼働 責任と倫理はどこに

 関西電力大飯原発3、4号機が規制基準に「適合」と判断された。そして電力事業者は、当然のように再稼働へと走りだす。誰も「安全」とは言えないものを、なぜ、動かすことができるのか。
 「適合」の審査書案がまとまるたびに不思議に思う。原子力規制委員会の審査は結局、誰のため、何のためにあるのだろうか。
 昨年六月、大飯原発で想定される地震の揺れの大きさについて「過小評価されている」と、関電が示した計算に、“外部”から異議が出た。
 指摘したのは、前委員長代理の島崎邦彦・東京大名誉教授。地震予知連絡会長なども務めた地震学の泰斗である。熊本地震の観測データなどから疑問がわいた。
 規制委側が別の手法で独自に再計算した結果、「審査で了承した揺れをさらに下回る結果になった」と、その異議を退けた。
 その後規制委は「信頼性が低い」と再計算の結果を自ら撤回し、関電の計算があらためて妥当とされた。基準の曖昧さが露呈したとは言えないか。
 式の立て方で結果がころころ変わる。「そんなの当てにならない」と不安になるのが、普通の市民の感覚だろう。それでも関電の計算に従って、地震動を見直さないまま、大飯原発3、4号機は、3・11後の新たな規制基準に「適合」すると判断されたのだ。
 最新の科学的知見を採り入れて適否を判断する−。3・11の教訓に基づく新規制基準の根本方針だったはずである。
 島崎氏が辞任したあと、規制委に地震動の専門家はいないまま。
 専門家である島崎氏の疑念について、果たして議論は尽くされたと言えるのか。3・11の教訓が、いかされているとは思えない。
 規制委は「安全」を判断しない。最後に決めるのは関電だ。
 安全の保証はどこにもなく、事故の責任を負いきれるものもない。利害関係を有する“地元”以外は、意見を通すすべもない−。これが原発規制の現実なのだ。
 間もなく六年。世論調査では依然国民の過半が再稼働には反対だ。なのになぜか、被災地から遠い西日本の原発は淡々と動きだす。
 規制委の審査結果をもとに、地元や国民、電力事業者の知見や意見を総合し、ドイツのように科学と倫理に基づいて、責任を持って再稼働の適否を最終的に判断できる機関が必要だ。それが無理なら、原発はやはり動かせない。

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