[2011_10_15_02]予測されたにもかかわらず,被害想定から 外された巨大津波 島崎邦彦(科学 Oct.2011 Vol.81 No.102011年10月15日)
 
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予測されたにもかかわらず,被害想定から 外された巨大津波 島崎邦彦

 国の行政判断の誤りによって,今回の津波災害と原発事故が発生した。誤った判断へと導いた津波や地震の専門家の論拠が問われる。これには原発に関わる想定が密接に絡んでいた。
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 2006年9月に原子炉施設の耐震設計審査指針が改訂され,津波に対する安全性が明記された。これにより2008年4月東京電力は,政府が予測した沖合の地震で,福島第一原子力発電所にどのような津波が来襲するか,「試算」を始めた。その結果は,最大高(浸水高と思われる)10.2m,押し寄せる水の高さ(遡上高)15.7mであった。これは,2011年3月11日に福島第一原発を襲った巨大津波(東北地方太平洋沖地震に伴う津波)の高さにほぼ相当する。政府の予測は妥当なものであった。
 今回の原発事故の原因の一つ(主因とも考えられる)は,津波による非常用電源の喪失にある。2008年6月には東京電力の経営陣もこの「試算」結果を把握しており,この時点で適切な対応が取られていたならば,と思わざるをえない。3年間放置され,対策がされないまま巨大津波に襲われたのである。そして今もなお安全な状態に達していない。機器が破壊された上に,付近では地震が頻発している。
 原発事故だけではない。津波防災対策に,この予測が用いられていたならば,沿岸の津波被害は大幅に軽減されたのではなかったか?
 この「政府の予測」とは何か?地震調査研究推進本部(通称,地震本部)地震調査委員会の長期予測(2002年7月31日公表)に他ならない。
 この小文ではまず,この地震調査委員会の長期予測(以下では,地震本部の呼び方に従って長期評価という)の内容を説明する。次に,評価結果公表の前後から,その後の経過をたどり,国の行政判断の誤りが今回の震災,原発事故を招いたと結論する。
 東京電力は2008年の時点で対策を取らなかった理由として,「無理な仮定による試算」「学説や試算」「あくまで試算で,運用を変えるほど信用に足る数値か」をあげている。果たして無理な仮定で,信用できるかどうか不安となるような予測(長期評価)であったのか?

長期評価

 まず,長期評価を行った地震調査委員会から説明しよう。1995年阪神・淡路大震災後,地震の調査・研究の成果が国民や防災組織に十分に伝わっていなかったという反省から,地震調査研究推進本部(地震本部)が総理府に新設された。その後,事務局は文部科学省に移されている。この地震本部には,二つの委員会がつくられた。一つが,後に言及する政策委員会,もう一つが地震調査委員会(以下,地震調査委と略す)である。地震調査委では,毎月の地震活動を評価するほか,大地震が発生した場合に臨時に委員会を開催して,どのような地震であったかを評価している。また,長期的な観点(10年〜100年)からの地震発生可能性の評価も,地震調査委の役割の一つである。その詳細な検討は,委員会に設けられた長期評価部会で行われる。
 筆者はこの部会の部会長であり,2011年3月11日東北地方太平洋沖地震(以下3.11地震)発生後,科学的側面から過去の長期予測を検討し,本誌5月号に記述した。この小文は防災の立場からの検討について述べる。地震本部の目的は,有用な情報を提供して震災の軽減に資することであり,今回の大震災を軽減できなかったことは,まことに残念と言わざるをえない。しかし,後に述べるように,震災の軽減に資する情報自体は提供できていた。問題は,政府としての判断にあった。
 2002年7月31日に公表された「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」では,海域を図1のように区分した。「三陸沖北部から房総沖の海溝寄り」(以下「日本海溝付近」)と呼ばれる海域が議論の対象である。この海域では,30年間に20%の確率で,津波マグニチュード(津波の高さから求められるマグニチュード)8.2前後(8.1〜8.3)の津波地震が発生すると予測された。「津波地震」とは専門用語で,地震動は強くないが,大きな津波が発生する地震を言う。
 3.11地震はマグニチュード(M)が9.0のわりには地震動が弱い。普通の地震とともに「日本海溝付近」の津波地震が同時に発生したためである。「日本海溝付近」で最大のズレ量が推定されている。大きなズレが海底を隆起させ,高く強い破壊力をもつ津波が発生した。
 長期評価の根拠は,過去400年間に発生した三つの津波地震,1611年慶長の地震,1677年11月延宝の地震,1896年明治三陸地震である。30年発生確率は,これらの地震の発生頻度によっており,津波マグニチュードは,明治三陸地震の値にもとづいている。1611年と1896年の津波については,津波の数値計算から日本海溝で発生したと推定されている。1677年延宝の津波については,津波地震によることが明らかなため,日本海溝で発生したと推定した。
 日本海溝で発生する津波地震は,太平洋プレートの沈み込みによって発生する。津波被害の記録から,1611年と1896年の津波は海溝の北部,1677年は南部で発生したものと推定される。海溝の北部,中部,南部には,地形など,大きな違いは見られない。よって,津波地震は,日本海溝のどこでも発生すると判断した。プレートの沈み込みにより,北部と南部だけで津波地震が発生し,中部だけは起こらないとは考えにくい。また,そのような主張(もしあれば)を支持する証拠もない。たまたま,過去400年間に中部では発生しなかっただけであろう。プレートテクトニクスにもとづけば当然の結論である。
 長期評価は一般防災に用いられることを目的とし,最も起こりやすい地震を評価してきた。実際の地震発生は複雑な現象であり,評価した地震より甚大な被害をもたらす地震も可能性としては考えられる。よって,原子力発電所などの重要構造物については,安全のためにより厳しい評価が望まれる。


原子力発電所の津波評価とその後

 上記の長期評価とは独立に,土木学会によって原子力発電所の設計のために,津波の評価が行われた。その成果は2002年2月に刊行され,現在,土木学会のホームページから入手することができる。土木学会原子力土木委員会津波評価部会(以下,原子力津波部会)は,それぞれの海域で過去に発生した最も大きな(既往最大の)津波を想定することとした。これまで大きな津波が発生していない海域では,今後も大きな津波の発生を考えなくてよいという考え方である。
 日本海溝で言えば,1611年,1677年,1896年の津波地震は考慮するものの,津波地震の発生が知られていない福島県沖や茨城県沖では,まったく考慮しなくてよいことになる。太平洋プレートの沈み込みにより,津波地震が発生しているにもかかわらず,福島県沖や茨城県沖は発生しないということがありえるだろうか。
 2002年7月31日の地震調査委の長期評価公表に関連して,さまざまな動きがあった。まず,公表直前に委員会の審議を経ることなく,表紙に一段落(最後の段落で,これ以前の報告書には類似の段落はなかった)が加わった。「データとして用いる過去地震に関する資料が十分に無いこと等による限界」を考えて,「防災対策などの評価結果の利用にあたって」は注意するようにとの内容である。内容には問題がないものの,発表直前に電話で了解を求められたことに違和感を覚え,筆者はこの段落の挿入にあくまでも反対した。電話は喧嘩分かれに終わり,段落が加わった形で公表された。

(中略)

 東北地方太平洋岸の北部にのみ高い津波を想定するという,国の行政判断が,巨大津波の多大な犠牲者と原発事故とをもたらした。地震本部地震調査委員会の考え方を捨て,土木学会原子力土木委員会津波評価部会の考え方を,中央防災会議が採用したためである。
 地震調査委の長期評価を用いた2008年の「試算」で,福島第一原子力発電所で10mを超える津波となることを知りながら,東京電力は何の対策も行わなかったと伝えられた。しかし2006年の国際会議で,東京電力の技術者らは,福島第一原発に対する確率津波評価について,地震調査委の長期評価のケースを含めて発表している。地震調査委の長期評価を採用すれば,福島第一原発で10mを超える津波となることは,かなり以前から知られていたに違いない。
(後略)

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