【記事61013】資格なき東電柏崎刈羽再稼働容認  (その1、3回連載) 規制委員会の更田新体制も露骨な再稼働推進機関 渡辺寿子(原発いらない!ちば)(たんぽぽ舎2017年10月19日)
 
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資格なき東電柏崎刈羽再稼働容認  (その1、3回連載) 規制委員会の更田新体制も露骨な再稼働推進機関 渡辺寿子(原発いらない!ちば)


1.申請後も欠陥隠し次々発覚

 原子力規制委員会は10月4日東京電力柏崎刈羽6、7号機について新規制基準に「適合」するとの審査書案を了承し、事実上再稼働を容認しました。再稼働すれば福島第一原発事故を起こした東電として事故後初めての再稼働となり、事故炉と同じ沸騰水型炉としても初めての再稼働となります。
 東電は2013年9月柏崎刈羽の新規制基準適合審査を申請しました。東電は柏崎刈羽の再稼働に強い意欲を持っていたのに、東電に強い不信感を持っていた当時の泉田知事に対し「現時点での安全性がどれくらいかを確かめてもらうのが今回の申請」とごまかしの説明をしました。
 審査の過程では防潮堤の地盤が液状化する恐れや、事故時に対策拠点となる免震重要棟の耐震不足について東電は把握していながら規制委に事実と異なる説明をしていたことが発覚。規制委は東電に申請書を総点検させ、6月に再提出させました。

2.東電の「決意表明」だけで再稼働容認

 東電は柏崎刈羽で数々の違反、欠陥隠しをしていたので、規制委は当初東電に原発の運転資格があるのか疑問視していたとされ、田中委員長は「福島の廃炉をやりきる覚悟と実績を示すことができなければ、運転する資格がない」と断じていました。
 ところが8月に入って東電側が文書や口頭で、福島第一原発事故を収束させ、柏崎刈羽を安全第一に運転する決意を表明したことで、田中委員長は態度を一変させ、審査書案了承につながりました。
 7月、東電の川村会長が福島第一原発事故のトリチウム汚染水について「(東電として)決断はもうしている」と述べ、海に放出する方針を明言しました。これに対し田中委員長は以前から東電に海洋放出を求めていたにもかかわらず、「はらわたが煮えくり返る」と不快感を示していたのです。
 田中委員長は、7月末の柏崎刈羽視察、8月30日の定例会議での「東電責任者との意見交換」と2つの儀式をした後に再稼働容認の流れを演出しました。
 最初は電力会社に厳しいことをいって、再稼働反対の世論に期待を持たせ、最後には態度を変えて電力会社の立場に立つ。田中委員長は就任以来それを繰り返してきましたが、最後まで世を欺くペテン師を演じたのでした。

3.東電擁護露わな更田新委員長

 田中前委員長は柏崎刈羽再稼働にゴーサインを与え、退任の花道?としたかったようですが、あまりにひどい掌返しが批判されるのを恐れてか実現できず、後は更田氏が引き継ぎました。
 9月27日の会合で事務局が示した審査書案に対し委員から質問があり、結論に至らず、10月4日の会合を迎えました。ここで事務局が1時間かけて質問に回答。その後異論もなく、更田委員長と委員4人の全員一致で審査書案を了承したということです。了承の結論は最初から決まっていたのに、わざと一拍おいて、いかにも議論したように見せかけたのでしょう。
 更田氏は9月6日の会合で東電擁護の以下の発言をしました。
○東電の技術力が劣っていたから福島第一原発事故が起きたのではない
○どこの電力会社でもあれだけの津波に襲われた場合には事故に至った
○技術力や安全文化で特に東電が劣っていたと考えるのは間違いではないか
○東電が悪かった、だから事故が起きたというのは一種の思考停止であって、今後の原子力安全をを考える上でマイナスの面もある等々。
 更田氏は、巨大な津波の来襲が科学的に予測されていて、その対策を規制側も東電も検討したのに、実行するのを怠ったこと、それ故当時の東電幹部が起訴され、刑事裁判にかけられていることを無視しています。
 更田氏は福島第一原発事故と柏崎刈羽の再稼働は一体のものとして考えるべきです。更田氏自身以前「あれはあれ、これはこれとはいかない」といっていたことをすっかり忘れてしまったようです。
 更田新委員長もまた原子力マフィアであり、その下の規制委も田中体制と同じく再稼働推進機関であることを今回の再稼働容認は如実に示しています。
  (その2へ続く)
(原発いらない!ちばネットワークニュース2017年10月号より許可を得て転載)

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