【記事63031】津波被害刻む全国の石碑、データ化し公開 大阪の博物館(日本経済新聞2017年12月5日)
 
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津波被害刻む全国の石碑、データ化し公開 大阪の博物館

 大阪府吹田市の国立民族学博物館のグループが、津波の被害を伝える全国各地の石碑などをデータベース化し、インターネットで公開を始めた。作成に関わった日高真吾准教授(文化財科学)は「見えにくい情報を社会で共有し、防災に生かしてもらえれば」と話す。
 データベースは11月29日現在、11道府県の計292件の津波にまつわる石碑や銘板、寺社などを登録。市町村の一覧や地図から探すことができ、碑に刻まれた内容や写真、関連する災害の情報を見ることができる。
 例えば徳島県海陽町浅川地区にある石段脇の石標は、1854年の安政南海地震と1946年の昭和南海地震に伴う、それぞれの津波の到達点を示している。建立時期は不明だ。
 三重県志摩市阿児町甲賀の石碑には、1854年の安政東海地震の際の教訓として「地震が発生したらまず火を消し、老人、幼子を携え高台に避難するように」との内容の記述がある。
 データベースは誰でも追加ができる「参加型」の仕様で、希望する人にパスワードを発行し、自ら入力してもらう。既にほかの研究者などから参加の意向が寄せられているという。今後、岩手県釜石市で市民らに情報を入力してもらうワークショップも計画している。
 日高准教授は「本来は地域の人が自らその土地の記録を伝え残すのが理想だ」と話し、長年にわたり受け継がれている例として、大阪市浪速区の大正橋のたもとにある石碑を挙げた。
 1854年の地震や津波に関するもので「余震を恐れて4、5日、不安で夜を明かした」「津波の音が雷のようだ」といった災害を経験した人ならではの細かな記録や、「船で避難してはいけない」などの教訓が記されている。
 「願くハ、心あらん人、年々文字よミ安きやう墨を入給うへし」。末尾にはこう刻まれ、現在でも地域住民が定期的に「墨入れ」を行い、碑文が黒字でくっきりと浮き出て見える。〔共同〕

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