【記事10054】今村博士談 予知は出来る 地震は順序ふみ循環 残念、戦争で測定を中止(朝日新聞1946年12月24日)
 
※以下は地震関連の見出しと重要と思われる部分をテキスト化したものである

○今村博士談 予知は出来る 地震は順序ふみ循環 残念、戦争で測定を中止
 近畿、四国の大地震を予知したといわれる元東大教授今村明恒博士は大地震は当然起こるべき場所で起るもので「何処に近いうちに大地震がくるであろう」という予報はできるとその理由を次のように語っている。
 私がこんどの地震は紀伊半島の沖合起きると予報したのは大正十二年の関東大震災の直後であった、それには二つの学説的根拠があったからだ、一つは日本の周辺に五つの大きな地震ー紀伊半島沖(地図A)東海道沖(B)関東沖(C)三陸沖(D)根室沖(E)がある、この地震帯と日本歴史上に判明している大地震とを照合してみると大地震は紀伊沖から始まり、根室沖に至る循環運動をくり返しており現在はその三回目になっている。
 例えばその傾向の延?は明治二十七年根室沖、同二十九年三陸沖、大正十二年関東大震災、昭和十九年東海道沖、それにつづいてこんどの紀伊沖の大地震となっている。
 も一つの理由はこれらの大地震が起きる前には必ず地盤降下の前兆がみられる、こんども大正十一年の調査でこの地震帯五ケ所のうち油壷と串本の分だけが右寄りに急傾斜していることが分かり、関東大震災のあとは紀伊沖合であるとの結論を得た訳でその後の数回の陸地測量部の調査もそれを証拠だてていた。
 本格的な紀伊沖の調査にかかったのは昭和七年で検潮器とを串本、室戸など六ケ所に設けて測定の結果、近い将来に大地震があって津浪が押寄せることが分り、地方新聞にも、室戸、牟岐の町長などにも知らせ、耐震家屋とせよと説いたこともあり、また最近も知らせたが残念ながら戦争で一時中止、また測定機械の不足から、こんどの予知にはまに合わなかった
 私は大地震は以上の学説からも分るとおり順序をふんで循環するものであるkら、その次の場所を予知して、その場所に綿密な調査網をはれば近い将来に大地震が起こるという程度の大ザッパな予報は出来るものであることを当局と若い科学者に進言したい
○総司令部の調査
○死者1千名・全壊流出一万戸
○徳島県南漁場は全滅
○信越線開通
○新宮市は六割を焼失す〔和歌山発〕

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