【記事10227】被災地へ急ぐ救援の手 食糧を 水を 血液を 民間からも続々見舞品 ハム活躍で佐渡と連絡 渡線橋が列車の上に(毎日新聞1964年6月17日)
 
 

※以下は上記本文中から重要と思われるヶ所を抜粋し、テキスト化したものである

(前略)
渡線橋が列車の上に 新潟駅東渡線橋がこわれ、通過中のディーゼルカーの屋根に落ちる。線路はアメのように曲がっている
(中略)
ハム活躍で佐渡と連絡

午後7時ごろ、日本アマ無線連盟から「佐渡の被害を知りたい。連絡をとってほしい」との依頼があった。鈴木さんは夕食をとる間もなく取り組んで佐渡を呼んだ。
(中略)
 アマ無線でわかったところによると島の模様はこうである。
 地震とともに岸壁がひどく揺れ、山がくずれ、松の木が倒れた。材木や漁業協同組合の魚をいれた箱数1000個が町にゴロゴロ投げ出されて漁船6隻が陸にうちあげられた。午後11時すぎには水も相当ひいて島の人たちの恐怖も去り、平静を取り戻しつつある。
(後略)

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