[2019_05_24_06]関東地震の「先祖」をたどる(島村英紀2019年5月24日)
 
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関東地震の「先祖」をたどる

 1923年に関東地震が起きた。「関東大震災」と呼ばれるように、10万人を超える死者を生んだ大災害である。
 これは首都圏を襲う海溝型地震のひとつで、フィリピン海プレートが神奈川県沖の相模トラフから首都圏の下に潜り込むことで起きる。ほかの場所では太平洋岸の沖にしか起きない海溝型地震が陸の直下で起きるのは、日本ではここにしかない。
 海溝型地震ゆえマグニチュード(M)が8クラスと内陸直下型地震よりも大きいし、プレートが動くにつれて地震のエネルギーが溜まっていくから、いつかは起きてしまう地震だ。
 そのほかに首都圏では、日本の各地で起きる内陸直下型地震も起きる。げんに安政江戸地震(1855年)は、日本で起きた内陸直下型地震としては最大の死者1万人を生んだ。首都圏は海溝型地震も内陸直下型地震も起きるところなのだ。
 海溝型地震は1923年に起きた関東地震の「先祖」として、1703年に起きた元禄(げんろく)関東地震が知られている。
 今度、いつ海溝型地震が襲ってくるのかが大問題である。そのためには、過去の海溝型地震の繰り返しを知らなければならない。
 首都圏は京都や奈良ほどではなくても、千年以上も人が住んでいて、地震の歴史も残っている。しかし問題は、歴史上の記録は、地震による被害が書かれているだけで、被害のありさまや拡がりから海溝型地震と内陸直下型地震を見分けるのは不可能なことなのである。
 元禄関東地震は大きな津波が襲ってきたので海溝型地震だったことが分かった。つまり津波と津波が運んできた堆積物が決め手になったのだ。
 だが、そもそも首都圏では沿岸部まで開発が進んでいるから、陸上では、津波堆積物が残りにくい。このため、津波があったかどうかが分からないことが多い。
 このたび室町時代の先祖がひとつ見つかった。これは神奈川・三浦市の南部の海岸にある洞穴から津波堆積物が見つかったものだ。たとえ地上が開発されても、海岸沿いの地下にある洞窟には津波堆積物が残っている可能性がある。東大などの学術調査団が2014年から発掘調査を続けていた。
 この洞窟は白石洞穴遺跡。海側から押し流されてきたとみられる火山灰などの層が含まれていた。厚さは約60センチ。この地層は洞穴内の標高7メートルほどのところにあったから、高潮ではなく大津波に違いない。この地層は、洞穴の中でなければ風雨による浸食の影響を受けて見つからなかったに違いない。
 地層の堆積時期は15世紀後半〜16世紀だった。これは1495年に起きた「明応関東地震」である可能性が強い。文献に記述はあったものの、海溝型地震だとは分からなかった地震だ。
 こうして、関東地震の先祖がひとつ遡れたことになる。
 また、この堆積層の下側に、もっと古い時代の津波が作った地層が確認されている。さらに先祖が遡れる可能性もある。

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