【記事55010】津波“無策3兄弟”の罪 東電元幹部初公判(アエラ2017年6月28日)
 
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津波“無策3兄弟”の罪 東電元幹部初公判

 事故から6年。津波で全電源を失う可能性が高いと自らの調査で知りながら対策は先延ばし。一体誰が命じたのか。ようやく刑事訴訟の裁判が始まる。
「今なお様々な困難を抱える告訴人や多くの人、公判開始を見ることなく亡くなった方も大勢います。これほど甚大な被害を引き起こしたこの事故の責任を、公正な裁判により明確にしてほしいと、心から願います」
 東京電力の勝俣恒久元会長、原発担当だった武藤栄、武黒一郎の両元副社長の3人に、福島第一原発事故を引き起こした刑事責任はあるのか。それを問う裁判の初公判が6月30日、東京地裁で行われる。冒頭はこの裁判が決まった際に福島原発告訴団の武藤類子団長が話した言葉だ。この3人、一体どう出るか。
 裁判のポイントは二つある。一つは2008年、東電社内で津波対策を「先延ばし」したのは誰だったのか。もう一つは事故に関して検察だけが持つ膨大な資料が公開されることだ。

●1m超で全電源を喪失

「首都直下地震の確率は今後30年以内に70%程度」
 こんな数字を聞いたことがある人は多いだろう。政府の地震調査研究推進本部(地震本部)が、地震学者らの研究結果をとりまとめて公表する長期評価と呼ばれる予測である。
 実は福島第一の周辺地域について、地震本部は02年に長期評価を出している。1896年の三陸沖地震(死者約2万2千人)と同じような、高い津波をもたらす「津波地震」が福島県沖でも起きうると予測したのだ。日本海溝沿いで発生する確率は「30年以内に20%程度」。長期評価の中で高めに出ていた。
 この予測に対し、東電幹部が何をやったのか、あるいはしなかったのか。それが裁判の一つの焦点になる。
 東電側の対応は3人の強制起訴を決めた東京第五検察審査会の議決などで明らかになっている。それによると、大きく動いたのは08年。同年3月に東電の津波予測担当者らが、津波地震が福島沖で発生すると福島第一では津波の高さが15.7メートルになると計算。敷地は高さ10メートルなので軽々と越える規模だ。さらに06年の段階で、敷地より1メートル高い津波によって全電源喪失に至ることも実地検証で分かっていたという。
 一方、当時の福島第一のような古い原発に対し、耐震安全性を再検討する審査も原子力安全・保安院が進めていた。当然、東電の担当者らはこれをクリアするため、津波地震を考慮した対策をとっておくほうが望ましいと判断。08年6月、上司だった故・吉田昌郎原子力設備管理部長(当時)に報告している。これについて吉田氏はこう言ったという。
「私では判断できないから、武藤さんにあげよう」(東京第一検察審査会の議決から)
 6月10日の会議で津波地震に対応すべき理由や対策工事について武藤氏に報告したが、その場では結論が出ないまま。だが7月31日の会議で「方針」は明らかになる。武藤氏は津波地震対策を先延ばしすること、そしてその方針を保安院に根回しするよう、担当者に指示したのだ。10月にはおおむねこの方針が了解を得たとされている。
 先延ばし方針を決めた当時の東電は2期連続の赤字で火の車。新潟県中越沖地震(07年)で被害を受けた柏崎刈羽原発の補修や補強にも4千億円以上かかる見込みだった。一方で福島第一原発の津波対策の費用は数百億円。これを見送ったのは、誰の意思だったか。社内に「異次元のコストカット」(東電社内報から)を強いていた勝俣氏、武藤氏の上司の武黒氏は、津波対策の先延ばしにどこまで関わったのか。いまだ不明な点は多い。

●民事で国・東電「クロ」

 この初公判に至るまでの道のりは平坦ではなかった。東京地検は2度にわたり勝俣氏らを不起訴としたが、検察審査会が2度とも覆し、強制起訴が決定。事態を二転三転させたのは、津波の「予見可能性」についての両者の見解の相違だった。
 検察は「長期予測は科学的にまだ不確かだった」として、起訴を見送り。各地で起こされている民事訴訟でも、国や東電は同様に予測の不確かさを理由に事故は避けられなかったと主張している。地震本部が予測した地震は、福島沖で発生した歴史記録が残っておらず、信頼度は低いという見方だ。
 しかし、東電側の主張には矛盾がある。日本海溝沿いで起きうると長期予測された地震に関して、東電は「揺れ」は想定。福島第一の安全性を確かめ、08年3月に国に報告書を提出した。つまり歴史記録にない地震について、揺れは想定するのに津波は「不確かだから」と想定していない。こんな理屈は通用するのか。東電の津波予測の担当者も同じ考えだったようで「津波対策は不可避」(東電が株主代表訴訟に提出した文書から)と書いた社内文書も残っている。
 また、東電は「津波が起きるかどうか、土木学会に検討してもらい、その結果に従う予定だった」とも主張。学会報告は12年ごろ出る見通しだったが、同じ日本海溝沿いに原発を持つ東北電力や日本原電は、土木学会の審議とは関係なく、自社の判断で津波地震対策を東日本大震災までに終えていた。要は、土木学会を口実に対策を先延ばしさせたのは東電だけなのだ。津波だけ予見不可能という理屈には無理がある。
 では何が争点か。なり得るのは「結果回避可能性」だ。防潮堤などの建設には時間が必要なため、対策に着手しても11年3月までに間に合ったか、という問題である。
 この点、民事訴訟ではすでに判決も出た。原発事故被害者が集団で東電や国に損害賠償を訴えた民事訴訟で、前橋地裁は今年3月、津波は予見でき、さらに防潮堤以外の簡易的な手段で結果回避も可能だったとして、国や東電の責任を認めた。ただし、判決で結果回避可能性を認めたその根拠については、まだ粗い点があると考える専門家は多い。民事訴訟よりも堅固な立証が求められる刑事裁判ではここがハードルとなりそうだ。

●検察資料「何千点ある」

 裁判では証拠資料も注目点だ。これまで政府の事故調査委員会をはじめ、国会、東電、民間の事故調が報告書をまとめてきたが、いずれも身内をかばったり、時間不足だったりで事故原因の核心に迫り切れていない。のべ約1万2千人が訴えている民事訴訟でも、東電は情報開示を渋り続けている。だが今回の裁判では、これまでほとんど明らかにされていなかった検察の資料が出てくるというわけだ。
 検察審査会の議決の中で、どの事故調も持っていない証拠がまだあることは断片的にほのめかされてきた。刑事裁判を支援している海渡雄一弁護士は期待を込めてこう言う。
「検察庁が集めたおそらく何千点という資料が刑事裁判で出されるのではないか」
 原発を推進した政府や東電は、まともな事故検証すらできていない。事故から6年。ようやく始まる刑事裁判で真相究明が進むかもしれない。
(ジャーナリスト・添田孝史)
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