[2019_04_16_01]地震“予測”研究が岐路に 「いつ起こるか明言できない」学者の苦悩(西日本新聞2019年4月16日)
 
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地震“予測”研究が岐路に 「いつ起こるか明言できない」学者の苦悩

 阪神大震災や東日本大震災、熊本地震など大きな被害を伴う震災が相次ぎ、予知や予測を目指してきた日本の地震研究が岐路に立たされている。発生時期や規模、場所を事前に特定する技術は確立されていない。「今の科学の知見では予知、予測は幻想だ」という厳しい意見もあり、研究成果をどう防災に生かすのか、地震学者の苦悩は深い。
 「熊本地震後、しばらく立ち直れなかった」。九州大の清水洋教授(火山・地震学)は語る。熊本地震を想定し、啓発活動に力を入れていたつもりだったが、それがほとんど伝わらなかったと感じたためだ。
 熊本地震に襲われた熊本県益城町周辺では、1999年にマグニチュード(M)4・2、2000年にM5・0の地震が起き、清水教授がセンター長を務める九大地震火山観測研究センターは臨時観測を開始。熊本地震を引き起こした「布田川−日奈久断層帯」で地震活動が活発な一方、その一部である「高野−白旗」区間は活動が少なく、大きな地震が心配される「空白域」となっていたという。
 清水教授は、益城町も含め熊本県内で何度も講演し「震度7規模の揺れが起こる可能性がある。建物の耐震化や家具の固定、地域の防災リーダー育成を急いでほしい」と呼び掛けていた。熊本地震前震では実際に「高野−白旗」区間が大きく動いた。
 熊本地震の発生後、被災者の多くは「熊本に地震がくるとは思わなかった」と口にした。清水教授は「啓発活動をやった意味があったのだろうか」と無力感に苦しんだという。
 「危機感が伝わらない最大の弱点は、いつ起こるか明言できないこと。明日かもしれないし100年後かもしれない、としか言えなかった」。それでも、防災に生かした人もいたと知り「一人でも役に立つなら」と心を奮い立たせている。

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 日本では一部の研究者が地震予知実現の重要性を訴え、政府が1965年度から地震予知計画を開始、90年代後半までに約2千億円を投入した。78年には静岡県沖の東海地震を想定し、気象庁の予知情報を受けて首相が警戒宣言を出し、交通規制などを行うと規定した大規模地震対策特別措置法まで施行された。
 しかし、これまでに予知ができた事例は一度もない。「地震はない」と思われていた関西で95年に阪神大震災が起こると、政府は「予知」から「予測」へ方針転換。観測網を強化し、2005年からは地震学者の研究成果を集め、今後30年以内に震度6弱以上の揺れが起こる確率を示した「全国地震動予測地図」を発表、ほぼ毎年改定してきた。

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 1984年に東大助教授として来日したロバート・ゲラー東大名誉教授(地震学)は一貫して予知、予測に偏重した日本の地震研究に異論を唱えてきた。
 政府発表の地震予測は「地震は同じ場所で周期的に起こる」という説に基づいているが、ゲラー氏は「周期説の誤りを指摘する研究グループもあり、世界的に認められた学説ではない」と指摘する。地震のメカニズムは複雑で未知の断層も存在することから「地震予測は科学的に検証されたものではなく、予測というより予言と呼ぶべきものだ」と手厳しい。
 ゲラー氏の主張が広く注目を集めたのは2011年の東日本大震災がきっかけだった。政府の地震予測に関わる研究者たちは宮城県沖での地震は想定していたものの、実際に起きた規模は予測をはるかに上回るM9・0。「小雨の予報をしたのに、巨大台風が襲来したほどの誤算」(ゲラー氏)で、多くの研究者が自己批判を迫られた。
 ゲラー氏が地震予測の最大の弊害だと考えるのは、政府の予測地図で危険とされていない地域が「安全」と誤解されかねない点だ。ゲラー氏は「南海トラフや首都直下型などの危険性ばかりが叫ばれ、それ以外の地域で地震が起きれば『想定外』で済まされる。日本はどこでも不意打ち地震が起こりうるので、全国で満遍なく災害対策を行うべきだ」と話している。

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